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現代小説 更新中

「そろいの支度で八木節音頭」

「そろいの支度で八木節音頭」

大人の「上毛かるた」(15)八木節音頭

読み札(そ)・「そろいの支度で八木節音頭」



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 八木節は、栃木県足利市の八木で発祥したと言われています。
もとになっているのは、越後で歌われていた「新保広大寺くずし」です。
この歌をもとにして、堀込源太という馬方が八木節を広めたと伝わっています。


 舞台の中央に、樽を置きます。
樽の天面と胴を交互に叩き、音頭をとります。
最初の頃は篠笛だけの伴奏でしたが、後に大鼓(おおかわ)や鉦(かね)もくわわり、
いまのように、賑やかで陽気なものになりました。


 軽快なリズムと、独特の節回しの「口上」に特徴が有ります。
今日はまず、原型になった「新保広大寺くずし」について書いていきます。
ごぜ唄と呼ばれる元唄の紹介です

 あわれなるかや へそ穴くどき 国はどこよと 尋ねて聞けば
国は内股 ふんどし郡(ごおり) だんべ村にて ちんぼというて
おそれおおくも もったいなくも 天の岩戸の 穴よりはじめ
亭主大事に こもらせ給い ふじの人穴 大仏殿の
柱穴にも いわれがござる 人の五体に 数ある穴に
わけてあわれや へそ穴くどき 帯やふんどしに 締めつけられて
音(ね)でも息でも 出すことならぬ 仁義ごとにも 出ることならぬ
夏の暑さに じつないことよ ほんに体も とけるよでござる
日の目おがまず 夜昼しらず よその穴ショの 楽しみ聞くに
春は花見に 夏蛍見に 秋は月見に 冬雪見とて
耳はおお聞く 琴三味線の 鼻は香(こう)買い蘭麝(らんじゃ)の香り
口は三度の 食事のほかに 酒や魚や 茶菓子というて
うまいものには 鼻ふくらしゃる


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 越後のごぜ達が唄い広めた「新保広大寺節」は、
江戸時代に流行った、五大流行唄のひとつです。



 越後のごぜたちは、全国を旅します。
北へ向ったごぜたちは山形、秋田、青森、北海道を唄い歩きます。
こうして伝わったごぜの唄が、のちに「津軽じょんがら節」や「口説節」、
「道南口説」、「北海道鱈つり唄」などに影響を与えます。


 ごぜは、関東方面にも進出してきます。
上州に伝わったごぜ歌は、やがて上州の風土に合う「木崎音頭」や
「八木節」の原型になったといわれています。
ごぜたちは、さらに南下していきます。
信州路をつたい、甲州路や中仙道を唄い歩きます。
信州に伝わる「古代神」や、「麦わら節」などに影響を与えます。


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 もうひとつ、別の説もあります。
江戸時代の末期。
日光街道例幣使街道の宿場として栄えた上州新田郡の木崎宿へ、
越後から少女たちがやってきます。
旅籠で飯盛り女として働く彼女たちが、望郷の念に駆られて歌を唄います。
それが今に伝わる「木崎節」と、「木崎音頭」です。
のちにこれが八木節の原型になったと、いう説もあります。

 「あぁー、さても一座の皆さま方よ、
わしのようなる三角野郎が、四角四面の櫓(やぐら)の上で
音頭取るとははばかりながら、 しばし御免を蒙りまして
何か一言読み上げまする・・・」

 こうした口上ではじまるのが、八木節音頭です。


 上州という土地柄から八木節には、任侠や人情話がよく登場します。
不動の人気を誇っているのが、「国定忠治」です。


 ○ハァーさてもお聞きの皆様方へ チョイト一言読み上げまする 
 お国自慢は数々あれど 義理と人情に命をかけて
 今が世までもその名を残す 男忠治のその生い立ちを 不弁ながらも
 読み上げまするがオオイサネー

 ○ハァー国は上州佐位郡にて 音に聞こえた国定村の 博徒忠治の生い立ちこそは 
 親の代には名主をつとめ 人に知られた大身なるが 大事息子が即ち忠冶 
 蝶よ花よと育てるうちに

 ○ハァー幼なけれども剣術柔 今はようやく十五の年で 人に優れて目録以上 
 明けて十六春頃よりも ちよっと博奕を張り始めから 今日も明日も明日も今日も 
 日にち毎日博奕渡世

 ○ハァー負ける事なく勝負に強く 勝って兜の大じめありと 二十才あまりの
 売り出し男 背は六尺肉付き太く 器量骨柄万人優れ 男伊達にて真実の美男 
 一の子分が三つ木の文蔵

 ○ハァー鬼の喜助によめどの権太 それに続いて板割浅太 これが忠治の子分の中で 
 四天王とは彼らのことよ 後に続いた数多の子分 子分小方を持ったと言えど 
 人に情は慈悲善根の

 ○ハァー感じ入ったる若親方は 今は日の出に魔がさしたるか 二十五才の厄年なれば 
 すべて万事に大事をとれど 丁度その頃無宿の頭 音に聞こえた島村勇 
 彼と争うその始まりは

 ○ハァーかすり場につき三度も四度も 恥をかいたが遺恨のもとで 
 そこで忠治は小首をかしげ さらばこれから喧嘩の用意 いずれ頼むとつわ者ばかり 
 頃は午年七月二日 鎖かたびら着込を着し

 ○ハァーさらばこれから喧嘩の用意 いずれ頼むとつわ者揃い 頃は午年七月二日 
 鎖かたびら着込を着し 手勢揃えて境の町で 様子窺う忍びの人数 
 それと知らずに勇親方は

 ○ハァーそれと知らずに勇親方は 五人連れにて馴染みの茶屋で 
 酒を注がせる銚子の口が もげて盃みじんに砕け けちな事よと顔色変えて 
 虫が知らナかこの世の不思議 酒手払ってお茶昼を出れば

 ○ハァー酒手払ってお茶屋を出れぱ いつに変ったこの胸騒ぎ 
 さても今宵は安心ならぬ 左右前後に守護する子分 道に目配ばせよく気を付けて 
 目釘しめして小山へかかる 気性はげしき大親方は

 ○ハァー気性はげしき大親方は およそ身の丈け六尺二寸 音に聞こえし怪力無双 
 運のつきかや今宵のかぎり あわれ命はもくずのこやし しかもその夜は
 雨しんしんと 闇を幸い国定組は

 ○ハァー今は忠治は大音声で 名乗り掛ければ勇親方は 聞いてニッコリ健気な奴ら 
 命知らずの蛆虫めらと 互い互いに段平物を 抜いて目覚す剣の光り 
 右で打ち込む左で受ける

 ○ハァー秋の木の葉の飛び散る如く 上よ下よと戦う内に 運のつきかや勇親方は 
 胸をつかれて急所の痛手 ひるむ所へつけ込む忠治 首をかっ切り勝鬨あげて 
 しめたしめたの声諸共だがオオイサネー


 国定忠治は江戸時代末期に生きた、実在の博徒・アウトローです。
このアウトローを、時代のヒーローに仕立て上げたのが、
忠治最後の愛人、徳という女性です。


 国定忠治は博徒です。対立する相手を次々に殺害したあげく
関所を破り、それを咎められて磔の刑にされます。


 徳は、茶屋の娘として生まれます。
若い時から茶屋の看板娘として活躍します。
読み書きも堪能で、持ち前の勝ち気を発揮して、テキパキと切り盛りします。
こうした中で、女侠としての資質を育て上げたようです。


 忠治、41歳の夏。
中風(脳溢血)で倒れた忠治を、自分の屋敷にかくまいます。
岡っ引きたちを追い払い、守り続けますが1850年、徳とともに囚われます。
粛々と磔の刑になったというのは物語上であって、実際の忠治は、
怖気づいていたといいます。


 おじけずく忠治を、徳が説得します。
男らしく腹を決めて、にっこり笑って死出の旅に出ろと、言いくるめます。
死に際を、プロデュースしたのです。
見守る1500人の観衆の中で、潔く死んでみせるというストーリーを演出したのは、
ほかならぬ徳です。
鉄火肌を持ったこの才女は、博徒の最後を、任侠道をまっとうしたヒーローの
最後ととして演出したのです。


 忠治の本名は「長岡」。国定は生れ在所の地名です


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