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現代小説 更新中

「力合わせる200万」

「力合わせる200万」

大人の「上毛かるた」(17)群馬県

読み札(ち)・「力合わせる200万」


 
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 男子の剣道大会に参加した、女流剣士のエピソードを紹介します。
女流剣士の登場に、館内が大きくどよめく。
好奇の目を向けていた観客たちが、やがて、地鳴りのような拍手を送る。
中心に立っているのは、身長162センチの女性剣士。


 1967年におこなわれた、第40回全国大会2回戦でのこと。
熊本高の先鋒として登場した女流剣士は、自分より大きな大牟田商の男子を、
コテ中心の攻めで打ち負かした。
さらに4人に勝ち抜いた。


 以前にも女性の出場はあった。
しかし。全国大会で男子を破ったのは大会史上初めてのことだ。
男性優位の固定観念を、みごとに覆した。


「いつも男子と練習していたし。
でも大歓声が聞こえてきたとき、やっと、『すごいことをやったんだな』
と感じた」と、のちに語っている。


 女性剣士の存在自体が、珍しい時代。
彼女は小学校4年生の時、はじめて竹刀を握る。
きっかけはこの年の熊本国体で、剣道会場となった八代市に起こった剣道ブーム。
とはいえ、女子の競技人口は少ない。
周囲から「まるで男の子みたいだ」とからかわれる。


 母も猛反対する中、父だけが理解者となり、徹底的に鍛えてもらう。
高校時代。男子の体力に負けないようにと、自宅近くにある石段を毎日駆けあがった。
神社へつづく、250段の石段。
その石段を彼女は毎日、歯を食いしばり一気に駆けあがった。


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「雪が積もった日は休みと思ったら、父が雪かきして『走れるよ』だって・・・。
恨んだこともあったけど、足腰を鍛えたおかげで男子に4人抜きできた。
女子には圧倒できた」。
父のスパルタ教育に、こころの底から感謝している。


 彼女は、国士舘大に進学する。
全日本女子選手権では、69年から72年にかけて3連覇をしている。
この記録はいまだ破られていない。


 いきなり、女性剣士の話をしました。
群馬県も、剣聖や剣豪を数多く輩出している剣道強豪県のひとつです。
講談社を設立した野間清治氏は、桐生市の出身です。
「雑誌王」と呼ばれましたが「剣道社長」としてもよく知られています。
屋敷内に道場を建てた剣道家として有名です。


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 幕末に活躍した新徴組の中に、群馬出身の剣士がいます。
新選組ではありません。浪士隊をもとに、江戸で結成された新徴組のことです。
ここで活躍した中沢良之助は、知る人ぞ知る天狗剣法・法神流の達人です。
本日は全編、剣道の話になります(笑)


 良之助は天保八年、利根郡穴原村に生まれます。
法神流の達人、中沢孫右衛門貞清の長男です。


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 父から法神流剣法を学びます。
才能に恵まれ十四、五歳にして、父の門弟中、誰一人として、
右に出る者はなかったといわれています。


 十七歳になったとき。父の勧めで武者修行の旅に出ます。
良之助の墓石には、江戸へ出て、千葉周作に学んだと記されています。


 身長は六尺(180センチ)。体重二十余貫(85kg)の堂々たる偉丈夫。
彼の剣歴を輝かしいものにしているのは、新徴組小頭としての活躍です。


 文久三年。幕府は京都で跳梁する勤王の浪士たちを制圧するため、
浪士隊を編制して、京都に派遣することを決めます。
浪士隊募集に応じた者の中に、のちに新撰組を結成する近藤勇も含まれています。


 中沢良之助も千人から千五百人といわれた応募者の中から
採用され、京都へむかいます。
しかし。浪士組はわずか二週間で、江戸へ呼び戻されることになります。
京都に残り新撰組を起こす近藤勇たちと分かれ、良之助は江戸へ引き返します。


 江戸に帰還した浪士隊は、庄内藩の支配下に入ります。
新徴組と名前を替えて、江戸市中の警戒に当たります。


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 江戸警備役となった新徴組のなかで中沢は、小頭・剣術世話心得として登用されます。
いずれ劣らぬ猛者の中から、剣術大会を経て任命されたところを見ると、
技量の程がうかがえます。


 こののち。迫りくる官軍に対して幕府が江戸城を開城したことから、
居場所を失った新徴組は、再起を期して出羽国(山形)庄内へ移動していきます。
羽後矢島城の攻防戦で、少々負傷したという記録が残っています。


 会津藩、二本松藩、庄内藩などが激しく抵抗しますが、官軍の勢いは止められません。
明治維新の成立とともに、新徴組の時代が終わります。
戦いに敗れた新徴組は、月山の麓、東田川郡広瀬、黒川の二村にわたる丘陵地帯に入り、
開墾事業に従事します。


 中沢もこの開墾地へ入ります。
明治七年。良之助が38歳になった時、生まれ故郷の利根村へ戻ることを許されます。
故郷へ戻った良之助は利根村穴原に、法神流の立派な道場を構えます。
教えた門人は、350人。
良之助の墓碑の裏には、孫弟子をふくめれば1000人をこえると書かれています。
各地から門弟が集まり、ひろく関東一円に及んでいたと記録に残っています。


 良之助に妹がいます。
妹もまた、法神流の卓越した使い手です。
なぎなたを持たせれば、向かうところ敵なしの達人と有ります。
名前は、琴。
新選組に籍を置いた美剣士、琴の話は、「鶴舞う形の群馬県」
披露いたします。

(つ)「鶴舞う形の群馬県」に続く




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