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現代小説 更新中

「心の燈台内村鑑三」

大人の「上毛かるた」(10)高崎市

読み札(こ)・「心の燈台内村鑑三(うちむらかんぞう)」



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内村鑑三ゆかりの石の教会

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 内村鑑三は
1861年(文久元年)3月26日、上州高崎藩の江戸屋敷(小石川)で、
父宣之、母ヤソの長男として生まれます。
聡明な少年として育ちます。
東京外国語学校に学び、新渡戸稲造や宮部金吾とは生涯の学友です。


 1878年。洗礼を受けてクリスチャンとなります。
1884年に渡米。アーマースト大学を卒業し、さらにハ―トフオード神学校で学びます。


 帰国後。官職につきます。
各地で英語教師として教えながら、宣教活動を繰りひろげていきます。
明治24年。不敬を理由に、第一高等中学校の教職を追われます。


 不敬は、教育勅語奉読式において発生した事件です。
教員と生徒は順番に、教育勅語の前に進み出ます。
この時代。明治天皇の親筆の署名に対して、「奉拝」することが求められています。
天皇を崇拝する宗教的な儀式です。


 内村は三番目でした。
キリスト者としてこの宗教的儀式をそのまま遂行することへの抵抗感があり、
内村は軽くおじぎをして降壇します。
最敬礼ではなく、おじぎです。
これがのちに同僚や生徒などによって非難され、やがて社会問題化します。

キリスト教信仰が当時の天皇制国家理念と相容れない、反国家性を持つと非難されたのです。
おじぎはしたのですが、最敬礼をしなかっただけで罪に問われる。
それが当時の日本なのです。


 この事件以降、内村は生涯を講演と執筆、キリスト教の布教に捧げます。
明治・大正・昭和と3つの時代にわたって個人雑誌を刊行し、新聞「万朝報」にも
論文を掲載します。
また「非戦論者」として、名を馳せます。


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 近代日本の文学・思想・学問など広範な領域に
大きな影響を与えます。
人格的に、慈愛に満ちています。
高潔で強固な意志の持ち主である半面、非常に短気で激昂しやすく、
自分に好意をしめしてくれる人には信義に厚いが、その反面、
反対する者に対しては辛辣な攻撃を加える、二面性があったと言われています。

 
 ここまでが文献などに残っている、内村鑑三の主な経歴です。
ですがこのままでは、おとなのカルタになりません。




 内村鑑三は、生涯で三度の結婚をしています

1度目は、明治17年24歳のときに、浅田タケと恋愛結婚。
2度目は、明治22年29歳のときには横浜加寿子。
3度目は、明治25年32歳の時、岡田シズと結婚しています。


 浅田タケとの結婚については、次のような記述が残っています。
1883年(明治16年)。
講演に来た安中教会(群馬県・安中市)で、浅田タケと出会います。
両親の反対を押し切り、2人は翌年の3月28日に結婚します。
半年後(一説では8ヶ月後に)破局し、離婚しています。
原因はタケの、異性関係の疑惑といわれています。


 こののち内村は、私費で渡米します。
翌年。タケが女児ノブを出産します。
タケも、親友の新渡戸稲造も復縁の手紙を出しますが、内村は頑固に拒みます。
こうした話は、いまなら日常茶飯事です。
しかし。封建制度から解放されたばかりの明治初期のはなしですから、
これはただ事ではありません。


 武田友寿が書いた「正統と異端の間で」のなかで、経緯について触れています。
大恋愛をした2人は、周囲から猛反対される中、あえて結婚へ踏み切ります。
しかし。結果は、短期間で破局に至ります。
そうなったいくつかの原因について、語られています


 親友に書き送った内村の手紙が掲載されています。


①この結婚は大きな誤算であった

②結婚8ヶ月間がかなり不安な日々であった

③彼女はわが慰め、助け手で有ると信頼していたが、
 悪者であり、羊の衣を着た狼であることが暴露された

④この事実を確認したので、
 聖書の真理に照らして離婚もやむなしとした

⑤我が家と故郷を捨て、異国(アメリカ)にわたる決意だ。
 と書き送っています


 注目したいのは内村ではなく、浅田タケの生き方です。
戦後。女性は、靴下とともに強くなったといわれています。
そうなるはるか以前の時代。こんなにも自由奔放に、自分の本能のまま、
行動していた女性がいたのです。
なおかつ相手は、近代史に思想家として偉大な足跡を残した人物です。


 残念ながら、浅田タケの詳細な資料は残っていません。
興味をそそられる女性のひとりなのですが、彼女の記録はいまだに
深い闇の中です。


 内村氏は、二人目の横浜加寿子と死別します。
三人目の岡田シズとは、墓石に「シズとともに眠る」と刻まれてあるように、
平穏な家庭生活を送ったことも、事実です。



 朝の会話です

 「お~い、レイコ
 明治の時代を自由奔放に生きた、すごい女の人を見つけたよ~」


 「あら~そう。
 じゃあ、今朝はコーヒーにする?
 それとも、お茶がいいかしら
 たまには、こぶ茶でも入れましょうか?」


 この人は、まったく人の話をきいていません。マイペースなのです。
ある意味、浅田タケより大物かもしれません・・・


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