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「昔を語る、多胡の古碑」

「昔を語る、多胡の古碑」

人の「上毛かるた」(33)多野郡、吉井町

読み札(む)・「昔を語る、多胡の古碑」



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 多胡碑は、
奈良時代初期の和銅4(711)年に
当時の群馬県では14番目の郡の多胡郡が
誕生したことを記す記念碑で、
日本三古碑の一つです。


 当時の三つの郡から三百戸を分割し、
新しく多胡郡を設けたことが記されています。

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 その優れた書体は
今も多くの書家達に愛好され、
多胡碑記念館では、
中国等の拓本等も展示されています。


 周囲は緑あふれる「いしぶみの里公園」
として人々の憩いの場ともなっています。
 石碑には漢文で
「三つの郡から三百戸ずつ集めて新しい郡を作り "羊" に与える」
という意味のことが刻まれています。

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 中国の六朝風という書体に似た味わい深い文字です
この”羊”という文字に引かれて調べてみたら、
興味深い伝説が出てきました。


 その伝説というのは、羊太夫(ひつじたゆう)
もしくは羊大夫(ひつじたいふ)と呼ばれる超人のお話です。
それは昔、日本の都が奈良にあったころのお話です。




 上野国(今の群馬県)にたいそう
裕福な殿さまがおりました。

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 美しい奥方とともに立派な城に住み、
たくさんの人を召しかかえて、
何不自由ない暮らしをしていたのです。


 ところが、この人には子供がありません。
自分の地位や財産を、うけついでくれる人がいなかったのです。
そこでお不動さまのお堂にこもり、
どうか子供をさずけてくださいと、一心に祈りました。


 するとある日、
奥方さまの夢の中に立派な身なりの老人があらわれて、
「この子を大事に育てなさい」
と、一頭の羊を手渡しました。

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 それから間もなく奥方さまは身ごもって、
朱鳥九年(西暦 695 年)未年の未月・未日・未刻に、
玉のような男の子を生みおとしました。
男の子は羊太夫と名づけられ、
大事に育てられました。


 大人になった羊太夫はお父さんの後をつぎ、
城主となりました。
ある日、ごんだ村の長者が、
殿さまに是非お乗りいただきたいと、
一頭の馬を献上しました。


 その馬は、
普通の馬よりもずっと大きくて、美しい栗毛の馬でした。
 美しいだけではありません。
まるで風のように速く走るのです。

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 この馬のおかげで羊太夫は
上野国の領地から奈良の都まで、
毎日、帝のごきげんをうかがいに
通うことができました。


 上野国と奈良は
何百キロメートルも離れています。
それを一日で往復するというのですから、
どれほど足の速い馬だったかわかるでしょう。


 奈良までの道中、
お供をしていたのは八束小脛(やつかこはぎ)という人でした。
たいへん足が速く、太夫の馬に走って
ついて行けるほどだったそうです。


 新幹線なみの速さでつっぱしる馬に
徒歩でついて行くというのは普通のことではありません。
小脛には秘密がありました。

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 ある時、太夫は小脛が昼寝をしているのを見て
そっと近づいてみました。
するとどうでしょう。
小脛の両脇の下に羽が三枚ずつ
生えているではありませんか。


 八束小脛はただの人ではありません。
羊太夫を守るために仏さまが使わした
守護神だったのです。
けれど太夫は、そんなこととは知らず、
おもしろがって小脛の羽を抜いてしまいました。


 目を覚ました小脛は、
大事な羽がなくなっているのに気づいてびっくり。

「なんということを…この羽のおかげで
都に参内することもできたというのに。
もはやわたしは力を失い、
殿をお守りすることはできなくなりました」
といって、ひどく悲しみました。

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 それからというもの、
あれほど足の速かった小脛は
ただの人になってしまい、
太夫の馬も、以前のようには走れなく
なってしまいました。


 それまで毎日かよってきていた
太夫が来なくなったので、
奈良の都ではおかしな噂がながれる
ようになりました。


「上野国の羊太夫は、
帝に謀反をくわだてているようだぞ」


 これを聞いた帝はおおいに怒って、
安芸国の広島宿弥長利(ひろしまのすくねながとし)
という人に命じて、
太夫の城を攻めさせました。
太夫は勇敢にたたかいましたが、
敵の数は多く、
ついに最後の時がやってきました。


 そこで太夫は家来のひとりに、
奥方さまと息子を逃がしてくれるようたのみ、
自分は八束小脛とともに城を抜け出し、
姿を消しました。
一説によれば太夫は蝶に、
小脛は鳶(とび)に変身して飛んで行ったとも
いわれています。


 その後、
羊太夫は池村というところに潜んでいましたが、
敵に知られ、自害したということです。


 さて、家来とともに逃げだした
太夫の奥方とその息子ですが、
ある森の中で追いつめられて、
どこへも逃げられなくなってしまいました。


 そこで、
奥方は幼い息子だけでも助けてほしいと、
近くのお寺にあずけ、
自分は六人の侍女たちとともに
自害してしまいました。

 敵がたどりついた時、
あたりはすでに血の海となって、
誰ひとり生きていませんでした。
そこで敵の手の者は、
逃亡を手助けした家来の首だけをとって
帰って行きました。


 それからというもの、
このあたりを七輿山と呼ぶようになりました。
奥方と六人の侍女たちが乗ってきた七つの輿(こし)に
ちなんだ呼び名だということです。


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◆こぼれ話◆


 昔話というよりは
伝説と呼んだほうが良さそうな話です。
群馬県吉井町の周辺には、
羊太夫ゆかりの地がたくさん残されています。


 羊太夫(または羊大夫)という人が
実在したかどうかはわかりませんが
韓国の済州島に「羊」という姓を持つ一族が実在していたり、
奈良時代の群馬県には渡来人が多かったことなどを考えると、
まったくの空想ではなく、
モデルになった人はいたのかもしれません。


 お話では、
不動明王に授けられた子となっていますが、
空を飛ぶ船に乗って渡ってきたという伝説もあるそうで、
その時の船が石になり、今でも山の中に残っているそうです。
ね「もしかしたら、
未確認飛行物体と宇宙人かもしれません・・・(笑)

 多胡の古碑は、何を秘めているのでしょう、
まだまだ興味は尽きません。
多野郡、吉井町も合併して、
今は高崎市になりました


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