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「歴史に名高い新田義貞」

「歴史に名高い新田義貞」

大人の「上毛かるた」(42)生品神社

読み札(れ)・「歴史に名高い新田義貞」



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 本日は、地元のヒ―ローにつき、
一挙に2ページでの公開です。
といっても、最新の生品神社の様子と、反町館の画像を
紹介するだけです。


 詳細は、過去の「新田荘(にったのしょう)」を歩く、を
参照してください。
第二章、新田義貞と生品神社
この日記は再編集して、ホームページ、新田さらだ館にも収録いたしました。
アイラブ桐生や、この大人の上毛カルタも保存版として、
新田さらだ館へ収録作業中です。


 特に、上毛かるたでは、
ゆかりの地それぞれの画像を添付して完成させたいと思っています。
暇をみながら画像を撮り歩き、時間をかけて再編集する予定です。


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 神橋のある境内の大広場です
此処で例年、鏑矢(かぶらや)祭の神事が行われます。
地元生品の小学生たちが鉢巻・はかま姿で故事にならって鎌倉の空に向かって
「天誅!」の声とともに矢を放ちます
もちろん、地元出身の斎藤祐樹君もそのひとりでした。


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 挙兵600年記念碑が見える、
参道で、鳥居には「生品神社」の文字が見えています

 本殿と、旗を掲げたという御神木の建物です
ここで義貞は200騎余りで挙兵して、その日のうちに各地の新田一族や
足利氏たちとも合流して、数日のうちに数万の大軍になったといわれています

 戦勝祈願として、ここからは鎌倉に向かってはなった矢は
数キロも離れた処に、矢止め松が残っています
真偽はともかく、太平記には雄大なロマンが数多く漂っています
続いて、貞義の居館、反町館を紹介します

 中世に大繁栄を見せた壮園・新田荘(にったのしょう)の
中心地がここ、新田一族の居館、「反町館」です。
義貞も此処で生まれ育ちました


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 同じ新田一族で、世良田や利根川沿いの徳川地区開墾した
新田義季は、のちに家康により徳川の祖とされ徳川発祥の地とされます。

 平地の城ですので、
周囲4面はすべて深い濠で覆われています。
内部には、うずたかく土塁も築かれ固い守りの面影は今も残ったままです。
反町館は、関東の覇者・北条氏とともに行動したため、
天下を統一した秀吉によって、太田・金山城とともに攻め滅ばされました


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 その跡地に建つのが、厄除け大師と呼ばれる「反町薬師」です
正月4日には、厄除け祈願のため近隣からたくさんの参拝客が押し寄せます
この日だけは野菜くんも、この周辺道路を走りません
大渋滞に巻き込まれて、にっちもさっちも行きません・・・
ゆえに、4日は恒例の新春ゴルフコンペなのです
この日に決まった理由には、実はそういう訳があったのです。


 義貞は、生品神社での挙兵以降、
鎌倉を攻め落としたのちの南北朝の動乱のさなか、各地を転戦した末に
福井県でその生涯を閉じました。
この居館に二度と戻ることはありませんでした


 最後の画像は、濠の脇に有る大きな藤棚で撮ったものです
まだ咲き始めたばかりですが、言い匂いとともに、可憐に花房が揺れていました
満開は今週末あたりでしょうか・・・
また来ようと思います。


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