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「碓氷峠の関所跡」

「碓氷峠の関所跡」

大人の「上毛かるた」(3)碓氷峠

読み札(う)・「碓氷峠の関所跡」



画像の説明

碓氷峠に残る、関所の跡



 碓氷峠は群馬と長野の県境を越える
交通の「難所」です。
峠の関所の歴史は古く、
大和朝廷が整備した東山道の時代に
はじまったと言われています。


昌秦2年(899年)。
醍醐天皇が群盗たちを取り締まる目的で、
関所を設置しました。



当時の面影を残すものは、この門だけになってしまいました


 江戸時代に入ると、峠の取締りがさらに厳しくなります。
東海道の箱根と新居、中山道の木曽福島と、碓氷峠の上り口に、
当時を代表する「四大関所」がつくられます。


 「四大関所」を設置した目的は、「入り鉄砲と出女」の監視です。
鉄砲が江戸へ入らないようにすることと、江戸から女がでていかないよう、
厳しく取り締まりをしました。
大名の家族を「人質」として江戸に留めて置くため、「出女」には、
格別に厳しかったと言われています。
近在の百姓女ですら、上州から信州へ通行できなかったほどです。
関所が廃止になったのは、明治2年(1869年)。
いまから、150年前のことです。


 中山道は、現在の国道18号線。
峠の麓にある横川の、「峠の釜めし」は有名です。
横川駅の駅弁として、思い出す方も多いのではないでしょうか。
人気の秘密は、なんといっても益子焼きで作られた器です。
益子焼の「釜」に入っているということで、デビューした昭和33年から、
爆発的な評判を呼びました。


横川といえば、この釜飯弁当で有名です 益子焼きの器も、人気を集めました

 
 フタも陶器です。
重いフタをとると、色鮮やかな釜飯が姿を見せます。


 鶏・シイタケ・アンズ・栗・ウズラの卵・ごぼう・しょうが・グリンピースが、
炊き込まれたご飯の上に、丁寧に並んでいます。
漬物も、わき役として「良い味」を出しています。


 益子焼きの釜は、「土鍋」としても使えます
一人前のおかゆを炊き上げるには、ごく好都合がいいようです。
プラスチックや、発砲スチロールの器ではこうはいきません。
「鶏の炊き込みご飯」と「益子焼きの釜」の組み合わせが、長年続く
人気の駅弁を生み出しました。

 カミさんは、天然温泉が大好きです。
県内はもちろん、栃木県や埼玉まで足を延ばします。
定休日といえば日帰り温泉というほど、マイブームになった記憶があります。


廃線になった碓氷線の、メガネ橋

上部からの映像


 峠に、お勧めの日帰り温泉があります。
「釜飯」ドライブインを出てまもなく、中山道がバイパスと
もともとの細い道に分かれます。
右へ進む中山道の古道を登っていくと、森公園交流館「峠の湯」が出現します。


 2001年に誕生した、弱アルカリ性の天然温泉です。
よく足を運んだものです。。
もちろん、温泉が大好きなカミさんと2人です。


 朝早く出て、前橋市を経由して国道18号を北西に走ります。
中山道の松並木が残っている安中市を抜け、こちらに到着するまで、
たっぷりと2時間ちかくがかかります。
行きと帰りで、5時間あまりのドライブになります。


 それもそのはず。
私の住む太田市は、群馬県の東のはずれ。
かたや、碓氷峠は群馬県の北西部のはずれに位置しています。
つまり。鶴が舞う形の群馬県を、ななめに縦走しなければなりません。
時間がかかるのは、当たり前です。


 ところがです・・・つい最近。
信越高速道が開通し、北関東を横断する高速道路が太田市まで開通しました。
いままで2時間以上もかかっていた道のりが、もと暴走族のカミさんが運転すると、
40分足らずで帰ってきてしまうのです!
この勢いで行くと、3月19日に全線が開通した北関東道を使い、
2時間たらずで茨城の海岸まで行けることになります。


 北関東道の全面開通は、カミさんの行動範囲を一気にひろげそうです。
途中に、関所もありません。
カミさん嬉しくて・・・いまから、腕が鳴っているそうです・・・


イベントを彩る、碓氷のSL


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