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「繭と生糸は日本一」

「繭と生糸は日本一」

大人の「上毛かるた」(31)蚕と桑の木

読み札(ま)・「繭と生糸は日本一」



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 明治期に建てられた
富岡の製糸場と絹織物で名高い桐生市。
銘仙織りで知られる伊勢崎市と、
群馬は生糸と織物の一大産地でした。
とりわけ生糸産業は、
米麦に頼る農家の貴重な現金収入として
大変もてはやされました。

世界遺産に指定された、富岡製糸場
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西の西陣、東の桐生とうたわれた桐生織物
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伊勢崎を代表する織物、伊勢崎銘仙
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 畑のほとんどの外周に桑の木が植えられ、
春先から晩秋まで、繰り返し蚕が飼われ、繭が生産されました
おっと、呼びつけにしてはいけません。


 蚕に「お」をつけ、さらに「さま」をつけて
「おかいこさま」と呼びました。
それほどに貴重な存在であり、
かつ魅力もありました。


 生糸は高級なシルク製品の原料になります。
太さのむらや節が少なく、強くて弾力があり、
あとの加工の過程で、糸切れや染めたときに色にむらを生じないなど
品質が優れていることが求められます。


 こうした高品質で良質の繭には、
たいへんな高値がつくために、
地域や部落単位で競い合って蚕養(ようさん)に取り組みました。

 学童たちに、農半休暇が有った時代です
田植えの時期には、一週間程度の休暇がありました。
さらに、「蚕あげ」の日には休暇や早退が認められました


 「蚕あげ」とは、成長しきった蚕が絹を吐き、
繭をつくりはじめた瞬間に、
「回転まぶし」と呼ばれる仕切りの付いた器具へ
一斉に移す作業です。
個室に一匹ずつ入り込み、
ここで繭を完成させるのですが、
一刻をあらそう作業のため、家族総出の仕事です


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 この桑の葉ですが、新芽は美味です
先端部分の柔らかいところを積んできては、天ぷらに使います
「お蚕さま」が全盛のころは、そんなことをすると、
完璧に「バチあたり」でしたが
最近は大っぴらに大丈夫です。


 ただし、
桑の木自体が少なくなってきたため
探しだすほうが大変です
あれほど有った桑の木も、
そのほとんどが引き抜かれ廃棄されてしまったのです
中国をはじめとする、東南アジアの安価な
絹製品に圧迫されてのことでした。


 この桑の木には、
「どどめ」とよばれる実がなります
ごく小粒のブドウに様な形をしていて、完熟すると紫いろに変わります
甘酸っぱく、学童たちの大好物でした。

 そのまま食べることができますが、
果汁の色が濃いために、舌は紫となり白いシャツには
落ちないシミに変わります
悪戯とツマミ食いを繰り返しては、
・・・よく、お袋にしかられました。


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 この「どどめ」も
、桑が品種改良されるたびに、
実がつかないように改良されて行きました
樹の勢いや、葉の成長を優先するために、
余計な物として排除されたのです
初期のころのどどめの実から見ると、
後年の実は、確かに味も落ちました。
また、それほど実もならなくなり
学童の楽しみも減りました


 しかしこの、
ブドウに似たどどめが近年見直されて
ワインや洋菓子の材料として研究が進み始めました。
今度は、大きくて、甘いどどめの実をつくるための研究です・・・


 だが、40年前の学童はすでに造っていたのです
一升瓶にどどめを詰め込み、棒で突いてジュースにし、
飲料としていたのです
ただし、発酵はさせませんでしたが・・・(笑)


 
 おいらの同期には、
たくさんの養蚕技師がいました
もともと病気に弱い蚕を上手に育てるための、
技術指導員のことです
生まれたばかりの蚕は、集中管理で衛生的に育てるために、
各地区ごとに、飼育場が作られました。

 丈夫で高品質の生糸を生産するためには、
健康で丈夫な蚕を育てることから始めまります。


 当時の繊維メーカーも、
よりよい繭を手に入れるために、
飼育場や担当技師たちへの援助や、
支援を惜しみませんでした。
技術指導と称して、農家へ出かけ、
その足のまま競艇場やゴルフに遊びに行くのは
日常茶飯事で、生産奨励のために高品質の繭には、
現金が飛び交ったという話です


 いつの世でも、
巨額の利権には裏金も動きます
もうすでに時効ですが、ある指導員などは、
農協から貰う給料よりも、
メ―カ―から貰う裏金のほうが多かった、というほどです
余りいい例ではありませんが、
当時の生糸と絹製品には、
それほどの実入りと魅力があふれていたのです。


 桑の生命力には
すさまじいものがあります
蚕に与える桑の葉は、枝の根元近くから切り取りますが、
数週間もすれば、元通りに枝が伸び、葉が青々と茂ります。
一年に4回から5回もこれが繰り返されて、
繭が作られ、生糸が誕生します。


 ドル箱だった農家の仕事も、
高度成長とともに姿を消しました
工業生産とその輸出を最優先した国策は、
農産物の輸入という道を開いたのです。
いまもその基本姿勢は変わりません。
あれほどの繁栄をみせた生糸と絹も、
時代とともに消え去りました
綿や絹が、石油製品の繊維たちにその場を
明け渡し始めたのです


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 この句が、
群馬の栄枯盛衰の象徴にならないことを
願いたいものです・・・




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