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現代小説 更新中

「誇る文豪、田山花袋」

「誇る文豪、田山花袋」

大人の「上毛かるた」(30)館林市

読み札(ほ)・「誇る文豪、田山花袋」



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 大正7年発行の日本の温泉めぐりのバイブルで
田山花袋著の、「温泉めぐり」(岩波文庫)というのが あります.
今から一世紀も昔の話です

 今より遥かに不便な時代で、
鉄道を本線から支線へ・・・
さらに軽便鉄道に乗り継ぎ奥地を訪ねる旅が、
どれだけ過酷なものだったのか、
温泉探訪がどんな好奇心や、理由で行われたのか、
その片鱗が見えてくる一冊です。


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 今の日本でもほんの30年前までは、
温泉宿に行くという行為は一部いかがわしく、
湿った臭いがしていました。
観光温泉地にはストリップや、見せ物のたぐい、
怪しい客引きや、温泉芸者たちが屯(たむろ)していたのです。
今 のように「健全」になったのは、
女性や家族連れが手軽なレジャーとして
押し掛けるようになってからだと思います


 しかしまぁそれにしても、東北、北関東、富士山麓・・・
伊豆に北陸、関西周辺、山陰に九州まで、、、
昔の人は、よく旅したものだと思います。
 作者が情人と寝たのは、場末の宿屋の「硬い」蒲団だつたのかと、
つい余計なことまでを思ってしまいますが・・・(笑)


 花袋は1872年1月22日(明治4年)
栃木県邑楽郡館林町(現在の群馬県館林市)に、
田山鋿十郎・てつ夫妻の次男として誕生します。


 田山家は、代々の秋元藩士で、
父は、1877年(明治10年)
西南戦争の際に警視庁邏卒として従軍して戦死します
12歳から漢学塾で漢詩文を学び、兄に従い上京し、
1890年(明治23年)に柳田国男と知りあい、
翌年に尾崎紅葉のところに入門します




『蒲団』のあらすじです。


 妻と三人の子をもつ中年作家の竹中時雄は、
新婚時に抱いていた妻への愛情はすっかり無くなっていました。
そんな時に、神戸女学院の学生である横山芳子が
内弟子として下宿しました。
竹中時雄は、芳子の「文学上の師」として、
表面上は何事もないように接しています。
しかし、やがて若くて美しい彼女に惹かれていきます。


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 横山芳子から「先生」と甘えるように声をかけられると、
年甲斐もなく時雄の胸はときめいてしまうのです。
2人の親密さが世間や親戚の噂になりました。


 そんな時雄の態度に気づいた妻は、
自分の姉の家に移りました。
男女2人になって、芳子もいずらくなり、
時雄の妻の姉の家に下宿しました。


 それから1年半後、横山芳子は、
同志社の学生である田中秀夫との交際を告白します。
それを知った時雄は、
「文学上の師」としての責任を果たすのだと言い聞かせながら、
2人の密会を許すことが出来なくなって、
芳子を下宿先から自分の家に連れ帰りました。


 芳子は、「文学上の師」として時雄に、
田中秀夫との関係を全て打ち明けて懺悔をします。
 時雄は、自分が欺かれていることを知ると、
芳子に破門を告げて父親と一緒に故郷に帰ることを命じました。


 ここからが最後の原文です。


 「別れた後そのままにして置いた二階に上った。
懐かしさ、恋しさの余り、
微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。
武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、
裏の古樹には潮の鳴るような音が凄じく聞えた。
別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、
光線は流るるように射し込んだ。


 机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、
恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。


 時雄は机の抽斗を明けてみた。
古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。
時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。
暫くして立上って襖を明けてみた。


 大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、
その向うに、芳子が常に用いていた蒲団ー萌黄唐草の敷蒲団と、
線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。


 時雄はそれを引出した。
女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが
言いも知らず時雄の胸をときめかした。
夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、
心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。


 性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。
時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、
冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
 薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた


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 『日本一周』(にほんいっしゅう)は、
小説家、田山花袋が1910年代に発表した
紀行文集の名称です。


 日本全国を汽車で巡り、
各地の景観、史跡などを写生的な文章で綴ったもので、
前編(近畿・東海)、
中編(中国・九州・四国)、
後編(関東・東北・北海道)の3冊から成っており、
博文館より1914年(大正3年)から1916年(大正5年)に
かけて刊行されました。


 当時の古写真も
400枚以上掲載された
総計1800ページにのぼる大部の作品で、当時の価格は
1冊につき1円20銭でした。


『日本一周』は、
原則的に田山が鉄道沿線を中心に
各地を見聞して記述したものですが、
地図や案内記をもとに書かれた個所もあることを
田山は序文で告白しています。

 「これは本当の日本一周ではなく、
私の日本一周であり、
旅行記でもなければ、案内記でもなく、
地理書でもないものを書こうとした」
と述べています。


 本作品は、
今日の観点ではいわゆる本当の意味での「日本一周」ではないにしても、
その文学的感興の高さだけでなく、
大正時代における交通事情や日本各地の風物を
写真と文章で克明に記録した点において、
資料的にも高い価値を持つものとして
評価されているようです。


 私小説的な作風や、
飾らない人柄と言い、
自らに田舎くささを感じさせるこの作家は、
大好きな作家の一人です。
「土着的」な意味合いだけですよ、
念のため。


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