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現代小説 更新中

その1・お米の花について

その1・お米の花について

白く見えるのは、お米の花です


(1)お米の花


お米の花は、わずかに2時間ほどしか咲いていません

 お米はイネ科の植物で、花が咲きます。
お米が花を咲かせることを、
お米の業界では"出穂(しゅっすい)"といいます。


 写真の中央・イネの穂となる部分に見える
白い点々としたものが、お米の花です。
お米の花は、イネの穂となる部分が"パカッ"と割れ、
そこから白い花が咲きます。


 花が咲くのは、7月下旬から8月中旬の間です。


 咲いている期間は、
ひとつの花で、たったの2時間程度です!
なんとも希少なお花なんです。


 お米の種類(品種)によって、
花が咲く時期は様々ですが、
どのお米も、白い花を咲かせるといいます。
全国には、この"お米の花見"会もあるようです。


 さて今回は、書いているようで、いまだ
一度もとりあげてこなかった「お米」の話です
お米は日本人の主食であり、栄養バランスに優れた
「日本型食生活と食事」の文字通りの「主役」です。
農耕民族の原点ともいえる、お米と米作りについて、
色々な角度から、書いてみたいと思います。



(2)お米は何処からきたの



 稲作の起源は、今からおよそ1万年~7000年前、
中国・インド・ミャンマーが接している山岳地帯と考えられています。
この頃は陸稲(おかぼ)が中心で、
アワやキビ、ヒエなどの他のイネ科の作物などと
一緒に作られていたようです。
その後、陸稲は東南アジアや中国各地に広がり、一部は
日本へと伝わったと見られています。

 水稲のジャポニカ種の祖先となる、アジアイネの原産地は、
中国、長江(揚子江)の中・下流域とする説が有力です。
長江下流の浙江省・寧波の河姆渡(かぼと)遺跡からは、約7000年前の
水田跡や、灌漑設備が発見されており、
水田での稲作は、長江下流で始まったと考えられています。


 では長江の中・下流域から
日本には、どのようなルートで伝わったのでしょうか?
日本に稲と栽培方法が伝わったのは、今から3000年ほど前の
縄文時代の終わり頃で、伝わった道すじについては、
いくつかの説があります。


 そのひとつが、長江流域から北上し、
山東半島付近から朝鮮半島の南部を通って、
九州北部へ伝わったとする説です。
また長江下流域から直接、北九州に伝来したとする説や
中国南部から沖縄・西南諸島を経て、黒潮に乗って
南九州に伝わったとする説などもあります。


 近年の遺伝子考古学によって
大陸からの直接伝来ルートが、もっとも時間的に
早かったことが分かってきました。
また、江南からの黒潮ルートは、縄文時代の熱帯ジャポニカの
伝来ルートとして有力視されています。

 どのルートを通って日本にやってきたかは、
はっきりとしないことも多いのですが、稲作が大陸部から
海を渡り、日本にもたらされたことは間違いありません。
研究や、発掘は現在も続いており、
今後の新しい発見によって、お米伝来の歴史が
書き換えられるかもしれません。



(3)お米が主食になった訳

花が咲くのは、8月の初旬から中旬にかけてです


 主食とは、人々がふだん最も多く利用する食べ物のことで、
お米や麦などの種子を食べる作物(穀物)と、イモ類などがその代表格です。
日本ではお米が主食ですが、麦やイモ類、トウモロコシを
主食にする国もたくさんあるようです。


 それぞれの国の主食は、
エネルギー源となる栄養素を多くふくみ、その国の気候や
土地などの条件下で安定して多くの 収穫を得ることができる作物が、
長い年月をかけて定着しました。
お米が、日本人の主食となった理由もまったく同じです。

 お米にはエネルギー源となる、炭水化物がたくさんふくまれています。
日本の気候にはお米が良く育ち、
多く収穫できる条件がそろっているのです。


 その条件とは、
お米はもともと中国の長江の中・下流域の水辺で
栽培が始まった植物で、熱帯気候を好みます。
日本は雨が多く、真夏には日中の最高気温が熱帯と
同じくらい高くなる日があります。


 日中の最高気温が熱帯と同じくらい高くなっても、
最低気温は、熱帯ほど高くはならず、
このことがお米の実りを良くしています。
このほかお米そのものにも、主食としての優れた点があります。




 お米は、せまい土地でも肥料など 栽培のしかたや
品種改良などの工夫次第で 収穫量を多くすることができるという
優れた特長を持っています。 

       
 収穫後のお米は、 乾燥させることで長い間保存ができて、
収穫が少ない時でも、保存しておいたものを食べることができるのです。
そしてなにより、お米はおいしく、
日本人の味の好みによく合った食べ物であることも、
大きな理由のひとつにあげられると思います。



(4)お米と、日本の風習のあれこれ


青々と育った実入り前の稲の様子です



 日本の人口は、縄文時代は約27万人、
弥生時代では約60万人、
奈良時代になると600~700万人…と、
お米の生産量が増えるのにしたがって
増加していきました。


 まさに、米は
命をつなぐ大切な食べ物だったわけです。
ところで、米は、食べ物としてばかりではなく、
私たち日本人の慣習や儀礼の中にも、
今日に至るまで、とても深いかかわりをもっています。


 日本人にとってお米は、単なる食べ物ではありません。
様々な儀式や風習などにも登場し、日々の生活様式にも
深く関わっている特別な存在と言えるでしょう。
お米がたくさん獲れることを祈願し、
お米が食べられることに、感謝をしている証なのです。

 それは日本人が、生活を営んでいく上で
欠かすことのできない精神の持ちようであるとも言えるでしょう。
 今も残る、お米に関する儀式や伝統行事について、
その、いくつかを紹介したいと思います。

 

新嘗祭(にいなめさい)


 秋に収穫された穀物を備えて、神様を祭る儀礼です。
毎年11月23日(勤労感謝の日)に、天皇が行う大切な祭儀となっています。
飛鳥時代に始まったと言われる実に歴史ある儀式です。
新嘗祭の中でも天皇が即位して最初に行なうものを、
大嘗祭(おおなめさい)と呼んでいます。

 

田楽


 平安時代に成立した日本の伝統芸能のひとつで、
田植えの前に豊作を祈願して行う「田遊び」から発達したものと
言われています。
音楽と踊りで米づくりの様子を表現するなど、
地域によって様々な形式で今も受け継がれています。
現在では東京・板橋の田遊びなど
20数件が、重要無形民俗文化財に指定されました。

 

御田植(おたうえ)・花田植(はなたうえ)


 米づくりの過程の中でも、
特に重要視されてきたのが田植えです。
田植えの季節になると、稲の生長と豊作を祈って
御田植や、花田植と呼ばれる伝統行事が各地で行われます。
 紺のかすりの着物に、赤いたすきなど早乙女(さおとめ)姿の女性たちが
苗を手植えする光景を目にすることができます。

 

夏祭り・秋祭り


 全国各地で行われるお祭りの多くは、
田の神に向けての豊作祈願または、
収穫感謝のために、行われてきたと考えられています。

 

相撲


 相撲の所作のひとつ、「四股(しこ)」には元々、
大地を力強く踏みしめることで、土地から災いを追い払い、
豊作を祈願するという意味合いがあります。


 これら以外にも、
「さるかに合戦」や「おむすびころりん」などの、
民話や昔話などの中にも、お米を題材にしたものが
たくさん残っているようです。


 また、大切な儀式である誕生祝いや結婚式、
葬式(そうしき)などの折には、米の持つ神秘的な力にあやかろうと、
白いごはんを高く盛って神物などに供えたり、
米(精白米)を、塩とともに供えたりする習慣なども残っています。
このように、米は、現在でも、
私たち日本人の生活文化に、とても深く根づいていると思います。



(5)お米と「尺貫法」


水田のある風景には、心になごむものがあります

 現在、お米を買うときは,
5㎏とか10㎏といった
重量のキログラム単位が普通です。


 料理をする時は、
容量で1カップとか2カップとかで計ります。
しかもお米の場合の1カップは、
180ミリリットルですが、
他のジュースとか牛乳などのカップは、
200ミリリットルと容量が違うのです。


 今日本では、物を計るときに国際的に標準化されている
メートル法という単位を使用していますが、40年ほど前までは
日本独自の計量単位『尺貫法』(しゃっかんほう)が
日常的に使用されていました
(1966年に完全廃止)。

 その名残りがお米を量るときに残っているのです。
もう少し詳しく、お米にまつわる昔の単位について説明します。


 今から約400年ほど前、
織田信長、豊臣秀吉によって枡の大きさの統一が図られたのですが
その後も、地域によって大きさがまちまちな状態が続きました。
そこで徳川幕府が1669年に、
1升枡のサイズを全国統一で定めました。


 サイズは4寸9分四方(1寸は3.03cm。分はその10分の1)、
深さ2寸7分、容積は64.827立方分(1.804リットル)です。


 ちなみに1升の10倍を1斗(と)と呼び、
1斗の10倍が1石になります。
また1升の10分の1が1合、さらに1合の10分の1が1勺(しゃく)となります。
この単位の名残が、1カップ180ミリリットルのお米という量り方です。
これは昔の1合という単位になるわけです。
 1升炊きの炊飯器ということもよく聞きますが、
これは1.8リットル炊きの炊飯器のことです。

 ご飯を炊くとき、お米1.8リットルは10カップですが、
グラムで言うと、どのくらいになるのでしょう。
厳密にいうと米の種類等によっても変化しますが、
およそ米180ミリリットル(1カップ)は150gから160gのようです。


 ですから1升は1.5~1.6キログラム、
1斗は15~16キログラム、
1石は150~160キログラムです。

 加賀100万石といえば、
領地内で1年に15~16万トンの米の収穫が見込めたという事になります。
この他に『俵』(ひょう)という単位 があり、
時代劇などで米百俵などという言葉も出てきます。


 尺貫法の時代、日本では米の容器として、
稲わらで編んだ俵(たわら)というものが使用されていました。
これは米4斗入りです。
昔の力自慢の人はこれを軽々と担ぎましたが、
メートル法に換算すると
60キログラムあまりの重さでした。




沢山の花がみえますが、わずか2時間ほどで消えてしまいます
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