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その2・米作りの歴史

その2・米作りの歴史

実り始めた稲穂です

(6)畳のはなし


真夏の日差しのなかで青々と伸びる水田の様子です

 畳とは。
藁(わら)を糸で刺し固めた床(とこ)に、
藺草(いぐさ)で編んだ表をつけ、
家の床上(ゆかうえ)に敷く物。
(広辞苑より)

 我々の祖先が
稲わらと、藺草の組み合わせによる
「畳」という、すばらしい敷物を
創り上げたのは、今から1000年以上も前の
平安時代といわれています。


 古来から稲の生産が盛んであった日本では、
藁は、大量に出る副産物であり、これをいかに利用していくかが
生活そのものであったとも言えました。
 例えば、『万葉集』の中でも見られるように、
住宅に藁を敷いて寝るというスタイルは、
古代から、地域によっては江戸時代までも続きました。
住宅が板敷きになっても、藁布団に用いたり、
茣蓙や筵のような敷物や畳・円座などの藁製品の上に座るという
風習が、たいへんに長く続いたようです。


 また、伝統的な日本家屋では、
多用途に、様々な方法で藁を利用しています。
土壁の材料として壁に塗り込んだり
屋根を葺いたり(わら屋根)、
重要部分を藁縄で結んだりしました。

 畳みも初めは、貴族階級の寝殿造りの板の間に、
寝具や、座具の置き畳として使われ、使用する人の位によって、
厚さや、縁の紋様が規定されていました。


 やがて、書院造りが完成されると共に、
部屋全体に畳を敷きつめるようになり、
敷物から、建物の床材になり始めていきます。


  安土・桃山時代になると従弟制度が生まれ、
茶道の発達と共に、武士階級や商家にも飛躍的に普及しました。
江戸時代の中期以降に、一般庶民の住宅でも使われるようになり
明治時代には、農民にも広く取り入れられるようになりました。

 「畳が恋しい」・「畳の上で死にたい」といわれるほど、
日本人のやすらぎの場として、現在まで愛されて続けています。
なぜ、これほどに永年存在をし続けたのでしょうか。
それは、はっきりとした四季の変化を持ち、湿度の高い気候と
履物を脱いで室内で生活する日本人の習慣に合致した、
畳の性能(保温や弾力、吸放湿性等)があったからです。


 元来、本畳は多年生植物の天然素材で出来ており、
自然と人間にやさしい製品です。
地球環境問題が叫ばれている現在では、
古く、しかし最も新しい世界に類をみない「敷物」といえるでしょう。



(7)太古のお米作り


正面に見えるのは、赤城山です

▼縄文時代と弥生時代

 お米の栽培が始まったのは
弥生時代と言われています。
それまで食料を確保する方法は
狩猟か採集によるものでした。
 お米を栽培するようになってから、
人々は一定の土地に
代々住みつくようになりました。


 弥生、奈良時代頃に食べられていたお米は、
糯(もちのよね)と、粳(うるちのよね)の
2種類だといわれています。
今の食べ方と違い、粥(しるがゆ)という、
お米を水でどろどろに煮た(今のお粥みたいなもの)
ものを食べるのが普通でした。
 米は昔から貴重な食べ物で、一般庶民の間では、
純粋にお米だけを食べられる人は少なく、麦やアワ、ヒエなどの雑穀類を
米に混ぜて食べていました。


 米を保存する方法として、
高床式の倉庫が作られ、
そこに収穫された米は保存していました。

▼米に関する法律

 大化の改新により、
世の中が大きく変りました。
天武天皇は、天皇を中心とする国家をつくるための改革を進め、
中国にならって律令という法律を作りました。
701年にできたその法律は大宝律令といいます。
その中で班田収授の法を定めました。


 この法律は「水田を国有化して一定の年齢以上の国民(公民)に
一定の面積の田(公田)を与え、死んだら国に田を返す」という法律です。
分けられた田んぼを口分田といい、
農民はその収穫の3%の稲を国に収めなくてはいけませんでした。

▼農具の発達と荒れる田

 奈良時代には鉄製の農具が広まり、
仕事の効率はぐんとあがりました。
また、直接種もみを田んぼにまくのではない、「田植え」がはじまりました。
牛や馬を使うことも、このころに始まりました。


 しかし、農民を支配していた地方の国司や郡司は、
種もみに高い利息をつけて、無理やりに農民に貸し付け、
高い利息をしぼりとっていました。
 そのせいで農民は、厳しい取立てや労役のつらさ、
そして貧しさのあまり、自分の田んぼを見捨てて逃げる者が続出し、
田んぼが荒地になる土地がふえました。

▼平安時代の食べ方

 平安時代ころには、現在のご飯に近い、
強飯(こわいい)と姫飯(ひめいい)いうものが出てきました。
強飯は、蒸篭(せいろ)でお米を蒸したもの、
姫飯は、釜でご飯を炊いたもので、
上流階級の人におもに食べられていました。


 貧しい人達は、
米を食べるときには、お粥にしていましたが、
麦やアワ、ヒエを混ぜたり、
畑で取れた農作物を混ぜて食べていたのが主流でした。



(8)中世での、お米つくり

雨上がりの稲穂です


▼荘園の発達

 朝廷は荒地となってしまった田の開墾を奨励しましたが、効果があがらず、
ついに開墾した土地の私有化を認める法律を、743年に出しました。
それが「墾田永年私財法」という法律です。
有力な貴族や寺などがこぞって農民を集めて開墾し
私有地を増やしていきました。


 これが荘園となり、私有地で豊かになった貴族などは
ますます力をつけて豪族となっていきます。
 荘園を持った貴族達は、自分の土地からたくさん税をしぼりとりましたが、
さらに荘園から税を納めなくてもよい権利や
国司が土地に立ち入らないようにする権利を朝廷に認めさせました。
このように腐敗が進み、農民は荘園領主と朝廷の両方に税を納める、
二重支配を受けていました。

 しかし鎌倉時代の頃には土地をさらに開墾したり、
肥料を工夫したり、二毛作をおこなったりして
農民も、領主や地頭に対抗する力を少しずつ蓄えていきました。

▼農具の発達と商業の発達

 室町時代には、鉄製農具がさらに発達しました。
鍬・鋤・鎌(くわ・すき・かま)などの農具です。
また牛や馬を使っての農耕もさらに広まり、
肥料に灰を使うようになりました。


 稲作にはかかせない水も、水車を使ったりして
田んぼにひくようになり、生産量はさらに増えました。
そして米の品種が増えたのもこの頃です。
手工業がこの頃に発達し、鍛冶や織物などを専門にあつかう人があらわれ、
地方には、特産品の生産が盛んになりました。


 またこのように生産物や輸入品の取引が増えたことによって
定期市の回数も増えて、商業もおおいに発達しました。

▼太閤検地

 時代は戦国時代。
豊臣秀吉の支配のころ、
農民から、年貢を正確に取り立てるために検地を行いました。
それが、太閤検地と呼ばれています。
 村別に耕作地の面積・生産量・耕作人を調べて検地帳に記録していき、
それをもとに、年貢を直接農民に納めさせました。
この制度のお陰で、荘園制度はなくなりましたが、
かわりに武士が直接、農民を支配するようになりました。

▼江戸時代

 身分制度ができ、士農工商の4つに分けられました。
江戸幕府や、藩の収入のほとんどは年貢によるものでした。
収入が安定するように、農民に「慶安の御触書」を1649年に出しました。
これは農民が贅沢をしないように、普段の生活の内容などを定めたり、
田畑の売買を禁止するものでした。


 農民にも貧富の差があらわれ、自分の耕作地を持つ本百姓と、
自分の耕作地を持たず、人の田畑を借りて耕す
水呑百姓に分かれていきました。
年貢は、収穫の約40~50%をおさめるという厳しいもので、
その他の雑税なども加わり、
農民は米をつくっても食べられませんでした。


 ほとんどが年貢でとられ、
残ったわずかな米も、生活必需品を買うために売られ、
米のかわりにヒエ・アワ・ソバ・ダイズ等の雑穀類や
豆類、イモ類、山菜・海草類などを
食べて生活をしていました。

 天災や飢饉がおきると、
百姓一揆や、打ちこわしが行われるようになりました。
 世の中に、お金が大きく出回るようになる(貨幣経済社会)と、
農民の中では、さらに貧富の差が広まりました。
 小作人になる農民も増え、苦しい生活をおくるようになり、
凶作が続くと、飢え死にする人が増えました。
幕末頃には、百姓一揆が大変に増えました。



(9)明治維新以降の米作り



夏の日差しも元で、ずいぶんと大きくなりました。まもなく白い、お米の花が咲きます
▼明治維新後

 明治維新の後、版籍奉還、廃藩置県を経て、
農民は、政府に直接支配されるようになりました。
また、身分制度が廃止されて、農・工・商の人達を平民としました。


 政府は地租改正を行い、
税率を持っている土地の地価の3%として定め、現金で納めさせました。
しかし、地租改正によって農民の生活は逆に、
ますます苦しいものになりました。
同時に徴兵制度も行われ、農民は農村から働き手を奪われる形となり、
新政府に対抗する農民一揆が多発しました。
政府は、税率を3%から2.5%に引き下げることになりました。


 経済の発達によって、現金で物を買うようになりましたが、
農村では現金が不足して、借金をする農民が増えました。
借金が返せず土地を手放し、小作人となったり
町に出て、労働者となる農民の増加がみられました。
小作人となった農民と、土地を貸す地主との貧富の差はますます大きくなり、
小作人達は、小作料の引き下げを要求する小作争議をおこしました。

▼大正時代

 第一次世界大戦後、日本は好景気になりました。
日用品の値段はあがったのに、給料はあがらず、
人々の不満は増しました。
また、シベリア出兵をみこんだ米の買占めのせいで、米の値段は2倍にもはねあがり、
富山県では主婦が米屋を襲う事件(米騒動)がありました。
農村でも、地主相手に小作人が小作料の引き下げ要求をおこなう
小作争議が増えました。
小作人の全国組織として「日本農民組合」が作られました。

▼第二次世界大戦と敗戦後

 戦時中、日本は次第に食糧不足に悩まされるようになりました。
物品や食料を自由に買うことが出来なくなり、
人々は「配給」といって、決められた量の物しか買うことが出来ませんでした。
しかし、国から決められた配給量では足りなく、
闇市で売買する人や、農村に食料を買出しに行く人が増えました。
これは戦後も、しばらく続きました。

 連合国軍司令部(GHQ)によって農地改革が行われました。
その内容は、政府が地主の土地を買い上げて、小作人に安く売り渡すもので、
おかげで自作農家が1935年には
全体の30.9%だったのに対し、
61.9%にまで増えました。


 日本の農業が、近代化され
飛躍的に発展を遂げたのは、実はこれ以降なのです。
器械化と、化学肥料と農薬の登場が、従来の米麦農業を一新して、
今日の農業の基礎を作りだしました。


 限られた国土と、人口1億2千万人のアンバランスが、
実は戦後農業が、未解決のままに一貫している課題なのです。
また、米作りに励んできた成果が、
今日の日本の繁栄を生み出してきたのですが、
この夏は、別の問題で、米作りが脅かされようとしています。
食料自給率と人口のアンバランスや、米にかかわる放射能の問題なども、
別の機会に是非、書いてみたい題材です。



 

(10)お米の種類のあれこれ

まだ、8月の中旬ですが、今年もたわわに実りました。


 お米といっても、色や形はいろいろです。
その一部を紹介したいと思います
実は多彩な種類がありますので、いろいろと
調べてみると、思わぬ発見が有るかもしれません。

○うるち米(うるちまい)

 私たちが普段食べているお米のことで、
〈もち米〉とはでんぷんの性質の違いで決まります。
でんぷんには、アミロースとアミロペクチンとがあり、
うるち米は15~35%のアミロースと、
65~85%のアミロペクチンで成り立っています。


 〈うるち米〉の時間がたって冷めると硬くなる性質は、
アミロースが原因です。

○もち米(もちごめ)

 お餅やお赤飯を作るときに使うお米です。
うるち米と違って、でんぷん質にアミロースがまったく含まれず、
粘りっこい性質を持つでんぷんアミロペクチンで100%できています。
アミロペクチンのみで構成されたもち米は、
うるち米に比べると冷めても硬くなりにくく、
美味しさが長持ちしやすいというメリットがあります。

○香り米(かおりまい)

 お祭りや、接待用のお米として
日本でも古くから栽培されています。
見た目は、普通のお米と変わりませんが
炊くとポップコーンのような香ばしい香りがします。
普通のお米に10%ぐらいまぜて炊きます。

○赤米(あかまい)

 古代中国から、日本へはじめて伝わったとされるお米です。
赤米は表皮の赤い部分に、赤色系色素を含んでいます。
普通のお米より、でんぷんの成分のアミロースが多いため
パサついた感じがしますが、
たんぱく質やビタミン類が多く含まれています。

○黒米(くろまい)

 古代中国から日本に伝わったお米の一つ。
もち米で、米の糠の部分に黒色の色素が合まれるお米をいいます。
ここの部分に「アントシアニン」系の色素が含まれています。

○緑米(みどりまい)

 赤米、黒米と同様に、
日本には縄文時代に中国から伝わったとされている古代米です。
現代ではネパールやラオスなどの、
アジアの国々で多く栽培されています。

○タイ米(タイまい)

 細長く、ねばりけの少ないインディカ米です。
原産地のタイではこのぱさぱさ、ぱらぱらした感じが好まれています。
日本のごはんの様にやわらかくふっくら炊き上げるには、
洗米後、長めの浸水(1時間以上)と
タイ米1に対して1.3ほどの水で炊くことが必要です。

○発芽玄米(はつがげんまい)

 玄米を水に浸すと、芽が出てきます。
0.5mm~1mmほど発芽させたものです。
発芽により、酵素が働き出して、ギャバという成分を作り出すので
健康にいいお米として注目されています。

○酒米(さかまい)

 日本酒をつくるのに適したお米です。
酒米は精米のとき、外層部に多く含まれる酒質の劣化成分
(蛋白質・灰分・脂肪)を取り除くため、
25%から吟醸酒などは60%まで削る
(普通のお米は5%前後)ことになります。
そのために、大きい粒であることが必要となります。


 日本だけでなく、世界中でお米は作られています。
世界では、2万種類以上の品種があるといわれていますが、
大きくわけると、以下の3種類に大別できるようです。

ジャポニカ種
  
 日本や朝鮮半島、中国東北部、
ヨーロッパの一部などで主に作られているお米。
短く、円形に近く、炊くとねばりとつやが出るのが特徴です
アメリカやオーストラリアでも作られています。

インディカ種・
 中国の中南部・タイ・ベトナム・インド・マレーシア・バングラデシュ
・フィリピンやアメリカ南部などで主に作られ、
生産量が、世界で最も多いお米です。

ジャバニカ種
 細長く、たくとパサパサした感じでピラフやカレーによく合います。
アジアの熱帯高地・アメリカ・ブラジル・イタリア・スペインなどに多いお米です。
はばが広く、大つぶなのが特徴です。



 

(11)古代米について


黄色く見えるのは、刈り入れを待つ小麦です。この辺では冬には小麦がつくられる2毛作が今でも見られます。

 最近、健康食品として『古代米』が
話題になっています。
赤や、黒紫色のお米は、普段見慣れた白いお米と
一体、どこが違うのでしょうか。


 古代米とは、
稲の原種である、野生稲の特徴を受け継いでいる米(稲)のことです。
野生型の稲の種子は、褐色や、黒紫などの
色がついているものがほとんどです。
これを、人が栽培することによって、無色(白色)の種子へと
変化していく性質があります。
この進化を指して、米の「栽培化」と呼んでいます。


 栽培化には、種子の色の変化の他に、
成熟した種子が、稲から脱粒しない(稲穂についたまま)ようになる性質や、
種子が大きく揃う性質、稲の草丈や成長・開花時期が揃う性質などがあり、
これが繰り返されることによって、米の生産性が向上します。
 現在の稲(米)は、こうした栽培化によって
白く粒そろいで、栽培しやすい性質になってきたのです。

 古代米は、一般に、生命カが極めて強く、
荒れ地で無肥料・無農薬でも丈夫に育ち、干ばつ・冷水などにも
強い性質を持っています。
ただ、米の性質にばらつきがあったり、
栽培化された稲に比べて収量が少なく、稲の草丈も高く
栽培しにくいなどの性格から、
明治以降は、ほとんど生産されなくなってしまいました。


 最近、古代米が白米に比べて
タンパク質やビタミン、ミネラルを多く含むということがあきらかとなり、
健康食として話題を集めています。

■ 赤米
 玄米の色が赤褐色で、果皮・種皮の部分に
タンニン系の赤色系色素を含んだ米です。
五分づきにするとピンク色になり、普通に精米すると
白米になります。
野生型稲の多くは、赤米だそうです。


 赤米は、赤い色を残した状態で精米すれば、
白米と比べて、たんぱく質や各種のビタミン・ミネラルが多い米となります。
白米と混ぜて炊けば、きれいなピンク色に染まり、独特の食感もあります。
昔から、神事やお祭りの席でも用いられてきたようです。

 実は、「お赤飯」のルーツも赤米だと言われています。
おめでたい席、お祝いの席にふさわしいお米ではないでしょうか。

■ 紫米(黒米)
 玄米の色が黒色に近く、
5分づきにすると黒紫色になります。
この黒紫色は、赤ワインで話題になったアントシアン系の色素によるもので、
血管を保護して動脈硬化を予防し、
発ガンの抑制に関係する、抗酸化作用があると言われています。


 その他、たんぱく質・ビタミンB1・B2・ナイアシン・
ビタミンE・鉄・カルシウム・マグネシウムなどが豊富に含まれており、
中国では、薬膳料理として古くから利用されてきました。
紫米は、白米に混ぜて炊くと紫色に炊き上がります。
健康食・美容食としても、話題のお米です。

■ 古代米の食べ方
 古代米の多くは、そのままではボソボソとして、
私たちが食べて「おいしい」と思う食べ物でないことが多いようです。
また、紫米(黒米)などは、
かなり強烈な黒紫色に炊き上がりますので、
100%古代米だけのご飯を炊いて食べるのは、
ちょっと大変かもしれません。


 古代米を、普通の白米(うるち米)に5%程度混ぜて炊くと、
普段食べているお米のおいしさと、
古代米の独特の食感や風味がバランスよく味わえ、
見た目も美しく香り高い、「かやくご飯」が楽しめるようです。
炊く時に自然塩を加えると、よりおいしくいただけます。


 紫米は、白米(うるち米)に約5%(1合に大さじ1杯強)加えて、
普通のお米と同じ水加減・浸水時間で炊くことができます。
炊く時に、米2合当たり小サジ1杯程度の天然塩を入れると、
よりおいしくいただけます。
ちょっと色の濃いお赤飯のような赤紫色に炊き上がります。


 赤米は、白米(うるち米)に約5%(1合に大さじ1杯強)加えて、
普通のお米と同じ水加減で炊きます。
表面がちょっと硬い品種が多いので、浸水時間を
ちょっと長め(3時間程度)にするといいでしょう。
炊く時に米2合当たり小サジ1杯程度の天然塩を入れると、
よりおいしくいただけます。
はんなりと、美しい薄紅色のご飯が炊き上がります。




真夏の盛りに実をつけ始めた稲穂は、あとひと月もすると、黄金色の実りに変わります
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