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現代小説 更新中

新田さらだ館 2

さらだ館について

新田さらだ館 2

太平記の昔を語る、反町薬師


太田市と合併しても、「新田」にこだわるのは


 合併する前の新田町は、人口が2万9千人あまりでした。
農業、商業、工業がともに混在して、地方にはよくある形の郊外地です。
ほとんどの土地を農地が占めていて、その大半は畑であり、ごく限られた地域で
田んぼが営まれているという特徴があります。


 群馬県の南部に位置する太田市は、
県下でも有数の工業生産を誇る町で、自動車産業の富士重工の産業城下まちでもあるのです
この富士重工の前身は、航空機のエンジン製造で名をはせた「中島飛行機」です 戦前、戦後を通じて太田市は、産業と技術面においても特筆できる歴史と文化を育んできた、地方都市でもありました。


 太平記の時代には、新田義貞(本名 源 義貞)を排出しました。
生品神社で挙兵して、わずか15日間で鎌倉幕府を打倒し、
いちやく歴史の表舞台に登場したことで、余りにもも良く知られています。

 また徳川幕府の開祖・徳川家の発祥の地でもあるのです。
利根川の北岸一帯の尾島町と世良田は、徳川の開祖が開拓した土地であり、
今でも、ゆかりの地として徳川の地名が残されているのです。
さらに北を流れる渡良瀬川をへだてては、足利氏を育んだ足利市があり、
文字どうり、太平記の里・歴史の古里といってもさしつかえないほど、史跡や遺跡にはことかきません。


新田義貞 挙兵の地です



 純農村地域の伝統と,広大な農地がいまも残っています



 もともとは昭和の大合併で、生品、木崎、綿打の3村が合併して、
今日の新田町を誕生させました。


 そうした面影が、3地域それぞれに集落集合の街道をもち、
中間部には、それぞれの農地が広大に広がっているという景観からもそれがうかがえるのです。
北部一帯には畑が広がり、南部には湧水を水源とする田んぼが多くみられるというのも、
新田町独特の大きな特徴のひとつです


 稲作の振興とともに、多種多彩な野菜栽培もさかんに行われるという
独特の新田町の農業環境が長年にわたって培われてきました。


真夏の、ヤマトイモの 畑です



ブランドは人がつくる



野菜は人がつくる


 あたりまえのはなしですが、
土をたがやし、土をつくり、丹精こめてそだてあげて、はじめて野菜は日の目をみます


 人に個性があるように、やさいにも個性があるのです
そうした個性は、農家の土つくりのための知識と技術、おいしい野菜をそだてあげるための熱意と努力の結果なのです。
まさに自然を相手にした真剣勝負が、その産物としての、野菜たちを実らせるのです




安心で美味しい野菜作りを目指して


 その答えは、おいしいものをつくるだすために、
たゆまぬ努力をする、若い世代の熱意とエネルギーにあります


 先人たちがきりひらいた、
おいしい野菜をそだてる有機の土壌や、安心、安全のために到達した
減農薬のすぐれた土壌的財産と農地がしっかりと残っていることにあるのです


手前は、ヤマトイモ、後ろは、トウモロコシです



米つくりの話

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