http://saradakann.xsrv.jp/y_key_1456d36d458ffacd.html

新田をかたる

新田義貞と徳川家康 この二人をたどると、そこに新田がある

歴史に名を残すこの二人が、実は新田に、同じ根を持つ共通の武士であることが、
残された、史跡や神社、古寺、東照宮などから、垣間見ることができます。

写真と歩く  太平記の郷

生品神社の掲示板です

ようこそ、太平記の郷、新田の町へ


これから、歴史の郷を、写真とともに、ご案内いたします
生品神社を出発点に、歴史をたどる散歩に、でかけましよう。


新田義貞の挙兵の地です
生品神社は、平安時代から歴史ある古社で1333年5月8日、新田義貞が、この地で挙兵し
鎌倉にせめこんだ話は、あまりにも、有名です。

(注)太平記とは
鎌倉時代末期から、南北朝時代まで、50年あまりの争乱をえがいた
軍記ものがたりです。
義貞は、ここから、歴史の表舞台に駆け上がっていきました。



つわもの達の夢のあと

生品神社から、南に約2㌔ 隆盛を誇った江田館跡に着きます

江田城の掲示板です

縦、横約、100メートルの空間です、これは、正面から撮りました

江田館は
中世の武士団
新田氏一族の
根現地です。

義貞の
鎌倉攻めのさい
極楽寺坂をせめる
大将として
活躍し、その後も
義貞に従い
各地を転戦しました。

これは、掘りの跡です、周囲を取り囲んでいます

館や、屋敷跡が
よく残っています。

土塁と、掘も、
周囲に配置され
堅固な、当時の
面影を偲ばせます。

うっそうとした
夏草は、
つわものたちの
置き土産でしょうか


徳川 発生の地です

さらに、南へくだると、世良田地区に、新田氏の栄華の名残と、徳川氏発生の地とされる
長楽寺と、世良田東照宮に到着します。

長楽寺、蓮池まえの掲示板

正面です

長楽寺の蓮池に
かかる渡月橋です

こちらも、
古い歴史をもつ
室町時代からの
お寺です

すこしななめから、撮りました

山門から
この橋をわたり
その先の はやしの
奥に
本殿があります

昔は、ハスの香りで
むせかえるほど
だったとか。

渡月橋をわたり、林の中を、進むと、
なかほどに、いわれについて説明する掲示板が設置されてました。

掲示板


長楽寺は、新田義季が、世良田を開発した時に、建立、開祖したもので、
1221年のことです。
おおくの、新田一族がねむる菩提寺としても有名で、義貞も供養塔で祭られています

長楽寺の本堂を右にみて、さらに奥へすすむと、
徳川家康を祭る、世良田東照宮への、参道につながります。

乱世の太平記の時代と、天下を平定し安静の江戸時代の
創始者が、隣接して、ねむることに、歴史の意外なめぐり合わせをかんじます。

世良田東照宮

お江戸見たけれりゃ、世良田においで!



太鼓門の正面
こちらは、太鼓門です。

太鼓門の裏手

太鼓門は、長楽寺本堂のすぐ裏手、東照宮からは、少し離れて
敷地の東に 位置しています。

徳川家康を祭る、世良田東照宮は、
1617年、久能山東照宮から、日光東照宮へ、家康の遺骸を改葬したさい建てられた社殿を、
1644年に、世良田へ移転、創建されました。

東照宮の近景

家康と新田氏とのつながりは

家康の先祖は、新田氏の始祖である義重から、新田の荘の「世良田」を
含む、五か所を譲り受けた、子の義季である。

義季は、五か所郷内にある、利根川沿いの押切を、徳川と改称し
自ら、徳川義季と名乗った。
その、16代の後、松平郷で、家康が誕生する。

家康は、三河一国を統一した25歳のときに、
松平姓から、徳川・世良田を開発した、徳川義季にあやかり、徳川に
復姓しました。

悠久の歴史の流れの中、時代の表舞台に登場したこの二人に
見えない線でつながれた、関東武士の夢とロマンを見せてもらいました。

すこし離れて




歴史のふるさと、新田の散歩でした
これからも、新田にかんした、いろいろのことがらを
紹介していきたいと思います

新田をかたる一覧表は、こちらからどうぞ

新田さらだ館 2 へ戻る

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM