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現代小説 更新中

新田をかたる一覧表

新田をかたる一覧表の表紙です
妙参寺沼です

こちらから、新田の歴史と、その遺跡群を散歩ふうに紹介します

新田の荘をあるく

ご案内

こちらでは、写真と文章で新田町の歴史とその遺跡を紹介しています
各項目ごとに分類しましたので、ご希望のページから、どうぞ!

また、時間に余裕のある方は、(散歩形式で紹介していますので)
最初から、お読みになることを、お勧めします

第一章、歴史の起源、湧水地

妙参寺沼 ・日本ため池百選です

代表的な湧水です

日本のため百選にも、選ばれました
灌漑用に人工的につくられました。源泉は湧水です
起源は古く、江戸時代に整備され、今の形になったといわれていますが
仔細はわかりません。
ふるくから、稲作をささえつづけてきました

矢田神水源 ・一級河川の源です

赤城山からの、自然湧水です
いまでも、こんこんと、わいています。
近くには、公園も整備され、蛍もみられるスポットとして、多くの人たちに親しまれています。
この水は、妙参寺沼は流れ、平地では珍しい、一級河川の源流です

重殿水源 ・新田湧水群の代表格

外観はコンクリートで補強されましたが、いまでも、現役です
用水は、ここから、いくたの田んぼへ流れます
こちらも、古い歴史をもつ、新田湧水群を代表するひとつです


第一章、歴史の期限、湧水地は、こちらをクリックしてください



第二章、新田義貞と生品神社

その由来 ・歴史は650年余

太平記の里です

1333年の挙兵以来、650年以上もの歴史があります
わずか150騎で挙兵した貞義は、ここから鎌倉への道をすすみ、
数万の兵をしたがえて、鎌倉幕府を倒したはなしは、あまりにも、有名です
太平記のふるさと、といわれる由縁です

生品神社境内 ・義貞挙兵の地です

いくたの、歴史と伝説が、この地からはじまりました。
義貞をしのぶ、代表的な史跡です
足利氏とならぶ、太平記の主人公のひとりですが、転戦ののち、この地にもどることなく、生涯をおえた義貞ゆかりの伝説がいくつも残されています

斎藤祐樹投手は、地元です

楽天の田中投手とともに、甲子園をわかせたヒーロー生誕の地です
かれも例年5月に 先人の功績と伝統を担うこの生品神社の鏑矢祭で、弓を引いた一人です




第二章、新田義貞と生品神社は、こちらをクリックしてください



第三章、反町館と、長楽寺

反町館は、新田義貞の居城です

世良田長楽寺です

現在は、厄除けの反町薬師としてひろく親しまれています
敷地は広大で、周囲は満々と水をたたえた堀をめぐらせています
平地の城として、すぐれた守りの面影が今も色濃く残されています
春には、藤棚が見事な花をつけます

長楽寺の渡月橋を紹介します

世良田の起源と、徳川発生の地です
こちら長楽寺は、徳川義季によって開山され、ながくにわたって繁栄し、
いくつもの、歴史遺産をのこしました
平安時代から、その名を残す渡月橋も、この長楽寺が起源です




第三章、反町館と、長楽寺は、こちらをクリックしてください



第四章、新田一族と長楽寺

長楽寺の境内を紹介します

長楽寺の太鼓門です

鎌倉から平安時代にかけて、世良田の名を全国にひろめ、
全盛期には、数百の僧侶たちが、学問にはげみました
本堂は、近年再建されました

長楽寺の三仏堂です

徳川の祖となる、徳川義季によって開山した長楽寺は、
世良田氏とともに、新田一族の菩提寺でもあります
供養塔と、一族の墓は、鎌倉時代の石造美をいまにつたえます

平安時代の面影、渡月橋

鎌倉から平安時代にかけて、渡月橋の名前は全国に
知れわたりました。
北池と南池をもつ、心字池には、竜宮伝説が語り継がれています




第四章、新田一族と長楽寺は、こちらをクリックしてください



第五章、徳川の発生と世良田東照宮

徳川の祖、世良田義季

世良田東照宮です

世良田郷、徳川をきりひらいた世良田義季は、郷土名をとって
徳川の姓も用いました
のちに、徳川家康が系譜を整えるながれのなかで、清和源氏の流れをくみ、この地を切り開いた義季にあやかって、徳川姓を名乗ります

開山堂と新田一族の供養塔

長楽寺の歴史は、義季によって建てられた、この開山堂から始まりました
また、縁の深い新田一族の菩提寺として、一族の供養塔とともに
墓地群も残されています

世良田東照宮です

日光東照宮が改築の際、本殿をこちらに移築したものです
松平、徳川の両家のよって手厚い保護のもと、世良田東照宮は、徳川発生の地として今日にいたりました。




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第六章、世良田東照宮、境内

国の重要文化財です

世良田東照宮です

1644年、三代将軍徳川家光によって日光東照宮の古宮を徳川の先祖の地ということから、こちらの世良田に移築されました
以来幕府からも手厚い保護を受け、長い歴史とともに今日に至り、
『お江戸みたけりゃ、世良田においで』と世にもてはやされ、謡われました
国指定の重要文化財群です

拝殿と、大鉄灯篭

拝殿は、
1617年、時の名工、中井大和守正清によって建てられ
1641年に日光東照宮より、こちらに移築されました
鉄灯篭は、1658年に寄贈されたもので高さは4,95㍍もあります

境内、内部への道順

拝殿、唐門、本殿からなる社殿は、階段状に三層に分かれています
彫刻や彩色はもちろん細部にいたるまで、当時の最高の技術と
職人たちの、高度な仕事ぶりが随所で見ることができます




第六章、世良田東照宮、境内は、こちらをクリックしてください



第七章、歴史ある遺跡と彫刻群

内部、第二層、唐門

巣籠りの鷹です

拝殿に続いて、二層目には、
唐門が配されています
こちらも、全体朱塗りで
全体にあでやかです

拝殿と本殿をつなぐ
空間に位置して
一段上の本殿を囲むように
作られています


家康を祭る本殿

この本殿は、日光東照宮から、古宮を移転、移築されたものです
外部の彫刻には、当世の名だたる名工たちの仕事ぶりが残されています
内部の装飾も、粋と贅が尽くされています
神としても家康を祭っているため、江戸時代には、大名格にしか、昇殿を許されませんでした

左甚五郎作、巣籠りの鷹

なだたる名工のなかでも、ひときわ輝くのは、こちらの
巣籠りの鷹です
鷹は家康の好んだ象徴であり、その出来栄えは、
野鳥たちを寄せつけなかったと言われてるほどでした
日光に残された彫刻とともの、ここにも、名工たちのち密な仕事が
残されています




第七章、歴史ある遺跡と彫刻群へは、こちらをクリックしてください




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