http://saradakann.xsrv.jp/y_key_1456d36d458ffacd.html

現代小説 更新中

第一章、歴史の期限、湧水地

新田の荘をあるく


こちらの写真と文章は、ロココムに、15回に分けて掲載したものです
一部、手直しをして写真も追加いたしましたが、大半は原文のままです
文中に出てくる野菜くんは、筆者のニックネームです

第一章歴史の起源、湧水地

妙参寺沼です

新田の荘について

新田荘
(にったのしょう、と読みます)
民宿では、ありません

太平記のふる里、新田義貞や、徳川家康につらなる
東国武将たちの、発祥の地、それが新田です。

いま、構築中の
ホームページ用にと、いろいろと用意してきた
新田荘の資料と写真が、あふれてきました。

せっかくですので、
新田の紹介もかねて、少しずつ公開したいとおもいます

ため池、妙参寺沼を紹介します

最初の写真が、こちら

正面入り口付近です

妙参寺沼、という ため池です

日本のため池100選の ひとつにも、えらばれました。

実は、新田荘の歴史のなかで、この水、
湧水は、大変大きな役割を、果たします

その意味と役割は、おいおい説明しますので、
とりあえず、この、景色を お楽しみください

歴史の起源、新田の湧水
ため池の奥です、先の森は、矢田神水源地です
はすが咲きはじめました

湧水、
新田には、大きな河川は、ありません。
これは、湧水によってうまれた、人造の ため池です

赤城山の南面や、その東南に広がる、渡良瀬扇状地に降った雨が
標高50メートル前後の、この、新田地区で、湧水として、噴出します

この妙参寺沼も、江戸時代に、田んぼの、灌漑用に、
調整池としてつくられたものです

この、豊富な水が

東国、有数の武士集団、新田氏一族と
裕福な新田荘の、源となり、やがて、太平記のふる里をつくりだします。

一番奥から、全景が見えます

歴史の表舞台に登場した新田義貞は、
この地に生まれ、鎌倉ぜめをなしとげて、歴史の主人公のひとりになりました。

さらに、数世紀をへだてて、
新田の地、新田荘、東国武士の脈絡をうけついで、
徳川家康へと、歴史がつらなります。

ここは、湧水を水源にしている、ため池です 

新田の湧水群を紹介します



代表的な湧水のひとつ、矢田神水源です


湧水、水源地についてもうすこし、書きます

記録に残る、湧水地は、約120。
枯渇や埋め立てで、現在でも湧水が確認できるのは、28か所です

新田地区のなかでも、縦2㌔ 横5㌔の限られた範囲に
この湧水群が存在します。

水源地から見た、全体の景色です

・代表的な湧水のひとつ
矢田神(ヤダイジン)水源です

平地では、めずらしい、一級河川・石田川の水源で、
自噴が確認できる、新田湧水群を代表する、湧水です。

透明度は、かなりたかく、水底がかすかに、ゆれていました

水源地は、中央の奥です

・こちらが、ほぼ全景です
画面中央付近のくぼんで見える奥が、水源です

この、湧水が

ここから、石田川への流れとなり、
河川のない、新田の土地をうるおし、稲作をはじめとする、さまざまな農産物を
育む大地をささえています。

(昨日、紹介した、妙参寺沼も、
この南、200メートルのところにあります。)

もうひとつが こちら

綺麗な水です

重殿(じゅうどの)水源です
こちらも、湧水です

一級河川・大川の源流。
鎌倉時代の古文書に、新田一族の岩松氏と、大館氏が、湧水地からひかれた
用水をめぐって争ったという、記録がのこされています。

周囲を石垣で取り囲んだ、ちいさな湧水地ですが
新田荘の開発に、湧水が利用されたことを証明する、史跡のひとつです。
※中央に見える構造物は、近年のものであり、枯渇時対策の 井戸の痕跡みたいです。

アヒルがきもちよさそうです


水質をしめすかのように、
アヒルとともに、たくさんの鯉が、気持ちよさそうに泳いでいました。


中央部は一段深くなっています

二つの新田湧水群を代表する
水源地を紹介しましたが、この恵みが、
やがて、豊かな新田荘を育み、さらに、歴史に名を残す
数々の、東国武将たちを、誕生させます。

明日は、新田義貞の、

生品神社から、太平記の郷の歴史に
ふれていきたいと、思います



トップへ
第二章、新田義貞と生品神社へは、こちらをクリックしてください
新田をかたる一覧表へ、もどる



powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional