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現代小説 更新中

第七章、歴史ある遺跡と彫刻群

第七章、歴史ある遺跡と彫刻群

境内順路、唐門

正面からの唐門です

なぜ、お江戸が世良田にあるのか
今日は、それを さきに解説したいと思います
(最近、脱線がおおいので・・)

世良田東照宮の由来

世良田東照宮の由来です。

寛永21年(1644)
三代将軍、家光によって、世良田が徳川氏の先祖の地ということから
日光東照宮の古宮(奥宮)が建て替えられたのを機に
こちらに移築され、家康が祀られました。

同時に御神料200石が寄進され、これ以降
幕府の手厚い保護を受け、徳川家代々の礼拝が尽くされるようになります。
徳川発生の地として、優遇されたことが、
今日にいたるまで、良好な状態で保存できた要因のひとつでしょう。

その家康は、天文11年(1542)12月26日に生まれ、
江戸時代260年余の文化の繁栄と、長い平和の礎を築きました。

元和2年(1616)4月17日に亡くなると、
久能山東照宮に埋葬され、さらに翌年、日光東照宮に祀られます



階段をあがると、本殿です

        ・こちらが、唐門です
        階段を登った先が、本殿です

ふたつの道の伝説

太陽の道伝説

神として祀られた家康をめぐる、ふたつの道の伝説を紹介します
ひとつめは、太陽の道について。

没後、家康は、久能山東照宮に祀られます。

この久能山の、西方一直線上には、
母親ゆかりの鳳来山(東照宮)があり、

さらに西には
生誕の地、岡崎(東照宮)があり

その延長線上には、京都があります。

久能山にある、家康の神廟は、西を向いて建てられました。
これは、太陽が東から、西に沈み、ふたたび東から再生することを意味します。

久能山に祀られた家康が、
再び、太陽のごとく神として再生するための、葬送の地として
最初に、この久能山の地が選ばれたのです。




拝殿です、アングルは唐門からです

       ・神殿の再奥、こちらが、本殿になります

北辰の道と、不死の道伝説

もうひとつの伝説は、北辰の道です
(北辰は、真北を意味します)

死後1年後、
家康は、さらに日光東照宮にまつられることになります。

これは、当時の政治の中心地、江戸から見て、
宇宙の中心と考えられていた北極星が、北辰の方向にあり、
ちょうど、日光を通過する方向でも、ありました。

当時、宇宙を支配する天帝の宮殿が
この方角にあると信じられていました。

(北辰線上に東照宮をつくり、
そこに家康をまつることは、家康とともに、江戸幕府の
いっそうの格式化と、信仰上の神格化をねらった方策ではないかと、とも思えます)

こうして家康を祭った日光東照宮は、
思想てきに、宇宙の中心軸上に祀られたことになりました。

神となった家康がさらに、宇宙を支配する神と一体化したことを意味し、
いっそうの、絶対的神格化を図ったのです。

これが、北辰の道のいわれです



重要文化財、本殿

正面です

                ・本殿の正面です
                巣籠りの鷹は、正面の上にあります

もうひとつが、不死の道です

こちらは、

久能山の神殿は、北北東を背にして立ち、
その背後には、富士山、
さらに延長すると、世良田
そして、日光にいたります。

これは、久能山に神として再生された家康が、
富士(不死)の山を越えて、永遠の存在となり、遠祖の地を通り、
宇宙の中心軸上に鎮まったことをあらわしました。

*以上、ふたつの道についての記述は、
世良田東照宮のパンフレットより参考、引用いたしました*

ともあれ

武家社会の、最後の繁栄をとげた江戸幕府が、
さまざまな、方策と施策をめぐらしながら、ひとびとを支配しつづけてきた
権力構造の一端が、かいま見えたような気がしました。

さて
いよいよ、おまちかねの
左甚五郎作の、巣籠りの鷹です
特集(?)で掲載します

左甚五郎作、巣籠りの鷹

最終章になりました
たくさんのコメント、ありがとうございます。

途中、再セットアップのアクシデントもありましたが
なんとか、クリアして、ここまで、たどり着きました。

最終章を記念して
お約束の、左甚五郎の
巣籠りの鷹、

まとめて、どうぞ!



巣籠りの鷹

巣籠りの鷹です
左甚五郎の作です

中央部のアップです

もう一度、見上げました

あまりもの出来栄えに、野鳥たちがよりつかないという逸話つきです。

赤城湧水群からはじまって
中世を代表する荘園のひとつ、新田荘を紹介した今回の取材は
野菜くんに、とっては、はじめての郷土史の紹介であり、
いい経験になりました。

最後にあたって

地元なのに、よく知らないことが、たくさんありました!

また、地元郷土史の有志にも、大変、お世話になりました。
なんとか、まとまって、本人が一番、ほっとしています

が・・・

これで終わりません。
(血が騒ぎ始めました・・惚れやすい野菜くんの、特徴です)

これから、行楽の秋、
おでかけには、最適の季節です。
(出かけますよ~ゴルフの合間に )

太平記には
もうひとり、いましたね、主人公が・・・
足利氏の栃木県足利市は、目と鼻の先です

車で、20分の距離です
渡良瀬川の北岸は、もう足利市です

せっかくですから、もうひとつ、

この渡良瀬川をさかのぼり、足尾の山を越えれば、日光です
ここまでくれば、いかざるをえません。

一大観光地でもある、家康の東照宮と
日光の魅力についても、まとめてみたいと思います。
(中禅寺湖方面には、よく出かけます、紅葉時はとくにお勧めです)

どちらも、
取材を重ねて、まとまったところで、次回作にしたいと思います。

最後まで、お付き合いいただき
ありがとうございました。





こちらは、上毛三山の一つ、赤城山です






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