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現代小説 更新中

第三章、反町館と、長楽寺

新田の荘をあるく

第三章、反町館と、長楽寺

新田一族の居館、反町館

当時のまま、今も残る堀です 

今日は、新田義貞の居館、反町館跡の紹介です。

14世紀の前半に築造され、
新田義貞の居館として使われたのち、
新田荘を受け継ぐ代だいの居館としてつかわれました。

戦国時代には、さらに拡張され、
最大時には、三重の堀を持つ城郭となります。

さらに、
北条氏が金山城を攻めるときの本拠地として使われたのち

1590年に、豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると、
金山城とともに、ここ反町館も廃城となりました。

面影をとどめる、堀

南東の角から、撮りました
(・南東の角から、北側を見たところです)

反対がわからの景観です

本丸は南北に、凸の形です。

北側の横幅は、約70メートル余
南側で、120メートル余、あります。

周囲、4面は、すべて掘で囲まれ、
こちらも10メートルから、20メートルほどの幅があります。

(堀の)深さは分かりませんが

堀の内側にも、数メートルの土塁が作られていて
かなり堅固な、平地の城郭の面影が見てとれます。

※この、木々のなかに、いくつもの、建物が配置されていますが
外からでは、まったく、なにも見えません。
うっそうとした、森、そのものです。

厄除の反町薬師

跡地に建つ照明寺です
こちらは、跡地に建てられた照明寺です
こどもたちが、写生に訪れていました。





世良田、長楽寺です

長楽寺の山門です、普通車は通過できます
こちらも、大変古く、

新田義重の四男、義季が得川(今の、太田市徳川)をふくむ
世良田郷を譲り受け、さらに開発をすすめたのち、この地に
禅寺、長楽寺を建立しました。

隣接する、世良田東照宮 (徳川家康を祀っています)
とともに、広大な敷地を有する、歴史ある古寺です

鎌倉時代には、常時500人の学僧が
兼学修行に励んだ、ともいわれています。

勅使門

正面は、東向きに、県道に面しています

勅使門, 通称 赤門と呼ばれています。

かつては、東照宮の正門としてつかわれ、
勅使や幕府の上使が参内する時だけに、使用され
それ以外は、あかなかったなかったことから
「あかずの門」とも、よばれたそうです。

われわれ庶民が・・境内に入るには、(?)

ここから、少し北側にすすんで、、
長楽寺の山門がある、参道のほうから、まわりこみます。

山門をくぐって、すぐ左手。
心字池と、渡月橋が見えてきます。

心字池と渡月橋

平安時代に由来を持つ渡月橋です

心字池にかかる、渡月橋です
心字池は、その名のとおり、草書体の心の形をしています。
(ここからは、見ることができませんが、南の池に、二つに小島があります)

かつては

北の池には、白蓮が
南の池には、紅蓮が咲き誇り
渡月橋を、その清廉な香りで、包み込んでいたとか・・・

この渡月橋の評判は、
鎌倉時代、京にまで、とどいていたとか・・
(こちらは、手直しされたもので、最初は、木橋です)

渡月橋から、ふりかえると、正面が、勅使門です。
正面です
左側からです

カメ伝説、竜宮

心字池にまつわる、伝説がひとつ。
橋の手前、左手の、看板

「カメを 放つな」 と書いてあります。

もうお分かりですね! 竜宮伝説です。
北の池の底は、竜宮につながっている、と言われていました。 (過去形です)

その、むかし、寺に必要なものがあると、
紙に品目を書いて水面に浮かべると、その紙が吸い込まれ
忽然として、その品目が、現れると、いうものでした。(また、過去形です)
 

あるとき、千畳張りの蚊帳を借りた時、

その蚊帳が、蓮の糸でつくられたあまりにも、見事なものだったため
寺僧が、惜しんで返さなかったため、それ以降
竜宮の門は、閉ざされてしまったとか・・・

・・さあ
気をとりなおして
境内の散歩にむかいましょう

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