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現代小説 更新中

第二章、新田義貞と生品神社

新田の荘をあるく

第二章、新田義貞と生品神社

太平記の里、案内看板です 

   ・こちらは、太平記の里の案内看板です
    いよいよ、太平記の世界です

生品神社の由来です

   ・神社の駐車場にある掲示板。
    伝説の発生の地です

義貞伝説発祥の地、生品神社

太平記に登場する、新田義貞の
原点ともいえる、史跡のひとつ。

この、生品神社は、平安時代の古文書のなかにも記載されている古社で
平将門を祭っている、という伝説も、あります

新田荘(にったのしよう)遺跡群のなかでも、
義貞伝説とともの、もっとも、有名な存在のひとつと、いえるでしょう

また、5月には、義貞の古事にならい
氏子による、鏑矢祭がおこなわれ、こちらも、100年以上も続く、伝統行事として
すっかり定着しています。

ここだけの、ハナシ!

甲子園のヒーロー、ハンカチ王子の 斎藤祐樹くん も、
この、鏑矢際に参加していました。

(早稲田高校にすすんだ、祐樹くんは、
ここ、新田生品で 生まれ育ちました)

大鳥居

正面の大鳥居です

(正面の鳥居です)

斎藤祐樹くんゆかりの、鏑矢際は、
地元、生品小学校6年生たちによって
営々とうけつがれる、伝統行事であり、5月の風物詩でも、あるのです。

はかま姿の少年たちが、

手に、弓と矢をもち、
大中黒(新田氏の紋)のはちまきに、白いたすきをキリリとしめて登場すると
父兄や見物のひとたちから、凛々しさに、思わず声があがります。

拝殿前に整列ののち、
第一矢を、
魚のウロコのような 「魚鱗の構え」 で、

鎌倉へ向かってはなちます。

つづいて、
鶴が翼を広げた 「鶴翼の構え」 で、

「天誅!!」の声とともに、

第2矢を、はなちます。

(この声が、最近は、”メゾソプラノ” です・・・変声期がおそいのかな?)

神橋

大鳥居をくぐってすぐの、広場です

ここからは、神社の境内です
650年以上の歴史と、木立の空間です

神橋から、2の鳥居、さらの本殿が見えます

(こちらは、神橋です)

こちらから、参道となり、拝殿までの、みちになります。
※橋の先を横切っているのは、左奥にある、民家への、生活道路です、あしからず

さあて、

このみちを、斎藤祐樹くんとともにすすんで
貞義公に、会いにいきましょう。



太平記をかざる主役の、新田義貞と、足利尊氏。
実はこの二人は、共通の祖を持つ、清和源氏の一族です

二の鳥居

2の鳥居です

(・2の鳥居です、奥に見えるのが拝殿です)

1108年、浅間山の大噴火で、北関東は火山灰で荒廃、壊滅。

下野(しもつけ)の国、足利に着任した、清和源氏の源氏義国は
いまの栃木県足利市に、拠点を構えます。

北関東を横断して流れる渡良瀬川の、北部一帯を足利氏が、
利根川沿いをふくむ、南部一帯を、新田と改姓した、源氏によって
開発、統治されることになります。

はじまりが、1150年ころ、
ここから、中世を代表する、豊かな荘園のひとつ
新田荘(にったのしょう)の、歴史が、はじまります。

最初の開発は、源義国と、
その長子、新田義重によっておこなわれました

拝殿と神代木

神代木がみえます
奥は本殿です
以降、
1157年には、16郷、

1170年には、新田全郡、56郷にまで、発展します
(これは、現在の、太田市の大半、旧新田郡の、およそ全域にあたります)

さらにすすんで、
(駆け足です・・)

1318年、新田本家の家督 を相続して、
新田義貞が、登場します  

手前は神代木で、奥に拝殿です

(・拝殿と、神代木の建物が見えます)

そして、
1333年、新田義貞が、この地、生品神社境内で
天皇の呼びかけにこたえて、倒幕のはたをあげ、挙兵をします。
新田の荘 

ここから先は
みなさんよく、ご存じの、鎌倉幕府から、南北朝時代へと
つらなる、太平記に世界になります。

650年の記念碑

650年の記念碑です

しかし、これ以降

同じ祖をもつ、清和源氏の名家、足利氏と、新田氏は

激動の歴史展開のなか、まるで、正反対の、
盛衰の途をたどることになります。

明日は

中世を代表する
荘園のなごりを、伝える遺跡を紹介します。

旗揚げ塚として、再建されました




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