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現代小説 更新中

第五章、徳川の発生と世良田東照宮

新田の荘をあるく

第五章、徳川の発生と世良田東照宮

徳川の祖、義季と開山堂

長楽寺本堂の南側
世良田東照宮との中間部に、

隆盛を誇った、新田一族の供養塔と墓地群があり、
一段たかい築山の上には、徳川の祖先とされる 徳川義季の墓地があります。

まずは、太鼓門から、
開山堂へむかいます。

開山堂

太鼓門です、奥に言えるのが開山堂です

正面から見た、太鼓門です
木立の奥に見えるのが、開山堂で、新田一族の供養塔は右手に、
義季の墓は、左、赤く見える柵の奥になります。

太鼓門のいわれは、
むかし、寺の行事の際や、時刻をしらせるために太鼓をうちならしたことから
由来したそうです。

・二階部分にみえる、丸い部分が太鼓のようにに見えるから
つけられたわけではありません。
(ちなみに、野菜くんも、ず~と、そう思い込んでいました・・)

開山堂への小道をすすむと、

こちらは、
夏でも、涼しいほどの、凛とした、巨木の森です

宝物蔵

宝物蔵です


供養塔の手前には、いかにも古い、板木作りの宝物蔵がありました。
(湾曲しかけた屋根のたたずまいが、尋常でない時のながれの長さを漂わせます。)




開山堂です。この裏手には新田一族の墓地がのこされています

新田一族、供養塔

新田一族の供養塔です

清和源氏の源義国が、長子の新田義重とともに、
上野国新田郡の開発をはじめたのが、1150年ころ。

それが

1157年には、16郷に
1170年には、旧新田郡全域の 56郷に拡大して、
(いまの、太田市の全域にせまる勢いで、)
飛躍的に拡大、成長をとげます。

こうして

新田一族による、新田荘開発は
中世を代表する、いちだい荘園への発展をとげました。

さらに、

新田義重の四男、義季が
徳川郷をふくむ、世良田郷を譲られて、
荘園豪族としての繁栄をとげることになります。

徳川姓を名乗った義季は、郷名を冠した、世良田姓も用います

これが、後々
徳川、世良田を発生の地とする、東国武将の系譜の中にうけつがれ
やがて、三河、松平の系譜の流れに連なることになります。

開山堂の正面です、裏手には新田一族の墓地群があります

開山堂の正面です
この、裏手には、新田氏一族の墓石群があり、
鎌倉時代の石造美文化がみてとれます。

・入口にかかげられた額は
松平定信の書と、しるされてあります。

ここにも、

650年余にわたって

静かに、眠り続けるつわものたちの、
栄華と、夢のなごりが、しずかに漂っていました。





世良田(徳川)義季

新田氏の系譜は

新田荘(にったのしょう)開発からはじまり
新田義貞で歴史の表舞台に登場したのち、
時代と歴史を受け継ぎながら
江戸時代にいたるまで、しっかりと、その足跡をのこします

東国、清和源氏の系譜の流れは
江戸幕府をひらき天下統一をなしとげた、徳川家康によって
ふたたび歴史の表舞台に登場します

今日は、その祖となる、徳川義季から、散歩をはじめます。

世良田一帯、とりわけ、利根川沿いの得川(いまの、太田市徳川地区)
をきりひらいた義季は清和源氏の新田氏一族から独立し、

徳川姓と、世良田の姓を名乗り、荘園豪族として、確固たる地位を確立します。

新田氏一族の供養塔から小道(開山堂)をはさんで南側に
義季とその一族がねむる特別の遺跡があります。

真夏の日差しにも、かかわらず、

ここには、伸びきった木々の梢から、
木漏れ日のみがさしかける不思議な、光景で、
時間が止まったような静かさがありました。

(露出があわず、すこし苦労しました
この辺が、素人カメラマンの未熟なところです)

義季の墓

こちらが正面の石段です

正面にある石段をのぼりきったところが、義季の墓です

世良田郷、徳川を切り開いた、徳川義季の墓です

全体に、苔むしています
陽が当たる部分が、限定されているからです。

この日も、
スポットライトのように、真ん中だけ、輝いていました

見上げれば、木々がドームのように、周囲を取り囲んでいて
まるで、この特定の場所を
太陽の光からさえも、守っているようでした。

この、約100年ののち
後醍醐天皇のよびかけにこたえて、
鎌倉幕府討伐のため、新田義貞が生品神社で挙兵します。

挙兵時、150騎余りとありますが
そのなかに、

義季を祖とする、いくたの、世良田武将たちが参集したことも
歴史的に伺い知ることができます。

また、その日のうちに、呼応して駆けつけた各地の新田一族と
その同族で、数千騎にまでふくれあがったという史実は
こののち、全国に新田氏の脈絡をひろげることにも、なるのです

さて、こちらが今回の散歩の最終地点
世良田東照宮です
(いよいよ、徳川家康です)

世良田東照宮

世良田東照宮の正門です

たがいに清和源氏の共通の祖をもち、
足利に赴任し、拠を構えた足利氏と、

渡良瀬川と利根川の広域部に展開した新田氏は

鎌倉幕府倒幕ののち、
南北朝の動乱の中、相まみえる皮肉な運命をたどることになります。

この、鎌倉から、室町時代のはじめにかけて
おおくの、東国武士と、新田一族と、世良田武将たちが
鎌倉から、九州にいたるまでの広域で、歴史的な戦いをくりひろげます

これが、世にいう、太平記の世界です。

やがて、家康を生む
三河加茂郡松平郷は、まだ山里在地の小豪族にすぎません
これがどうむすびつくのかは、
世良田東照宮の紹介とともに、解説したいと思います

見えますか、東照宮の文字





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