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現代小説 更新中

第六章、世良田東照宮、境内

第六章、世良田東照宮、境内

世良田東照宮

世良田東照宮の鳥居です

新田荘(にったのしょう)のはじまりが鎌倉時代。

南北朝の時代から、室町時代へ

世にいう、戦国時代から、信長、秀吉の安土桃山時代、
そして平定をうむ、江戸時代まで、
武家社会の歴史ドラマがつづきます
(NHKの大河ドラマの舞台でおなじみ・・アッ 今、幕末、竜馬だ、 ヤバッ)

ともあれ(笑)話を 先にすすめます。

まずは、手と口を清めて・・

・・・・

鳥居に東照宮の文字、見えました?もともとは、日光東照宮のものでした。
昨日 掲載した正門から

真っ正面に拝殿、すぐ奥に、唐門(からもん)再奥に、本殿と
一列、三段の社殿構造です

全体として、コンパクトで、日光東照宮のミニ版です。
とはいえ、一応、すべてが国の、重要文化財指定です。

こちらが、拝殿正面です

拝殿と石灯篭

石灯篭と拝殿です

左右の石灯籠にも、いわれがあります。

三対六基の石灯籠は、東照宮の修復時に担当した各藩から
落成記念に奉納されたものです。

・宝暦13年 (1763) 前橋藩主  松平 朝矩
・寛政 8年 (1796) 川越藩主  松平 直垣
・天保15年 (1844) 忍  藩主  松平 忠国
              (注、埼玉県行田市)

それぞれの年代のもので、趣がすこしずつ、異なっていました。

この日は、外人さんも、来ていました
(平日だというのに・・ 関係ない?)

左の白い帽子の、オっちゃんです!

野菜くんは、英語が超苦手のため、外人さんとは 目を合わせません。
(絶対に、目を合わせません!)
があろうことか、話しかけられました。

『 おはよ、 暑い ですね  』

唖然です、

あとにはひけません。
(その後については、みなさんの想像のごとくです)



大鉄灯篭

地元の職人の作です

こちらは、大鉄灯篭です

高さは、4.95メートル (惜しい、 あと5センチ!・・関係ない?)

前橋,総社の藩主、が家康の恩顧に感謝して
1656年に奉納されたものです。
こちらも、重要文化財です

このすぐ右手、社務所で、
拝観料をはらってから、内部への通路を進みます。

本日の予定では

なぜ、世良田に東照宮なのか
徳川と世良田がどこで結びつくのか・・

説明する予定でしたが

野菜くんが国際交流で(?)
にわか仕込みの、郷土史を 外人のオッちゃんに語りすぎたため、
残念ながら、次回送りになってしまいました。

みなさん
尻込みしては、いけません!

英語ができなくても、
外人さんとは、会話できるのです!

よい 勉強になりました(汗)



境内順路(内部へ)

こちらから内部への順路になります



脱線する前に、すこしまとめます。
(昨日の外人さん、予習してきています。 にわか仕込みでは、
タジタジの鋭い質問に、変な汗をかかされました。)

松平に生まれた家康が、

徳川姓を称するようになったいきさつは、諸説ありますが
由緒ただしい系譜を整える過程のなかで、祖としての、清和源氏へのこだわりが
色濃く影響しているようです。

当初の三河松平は、土着の小豪族にすぎません
その、系譜に、世良田氏の血をひく、一人の人物が『初代』として登場します

長楽寺で紹介した義季は
新田荘、世良田村徳川郷に住んだことから、
世良田姓とともに、徳川姓も名乗ります
その6代のちに、世良田有親、親氏の親子が登場します

1385年ころ、とありますから、
南北朝、末期のころのことです。



拝殿、正面

内部からの拝殿、正面です
          ・こちらが、拝殿の正面です
拝殿の内部です

          ・こちらは拝殿内部の様子です。

この親氏が徳阿弥という時宗の僧として、諸国をめぐるうち
三河松平の土豪、松平重信の娘婿となり、
松平親氏と名乗ったことが、松平の初代とされています。

こののち、松平は、土着の豪族として、世襲を重ねます。

戦国時代、
家康がうまれるころは、
松平はまだ、西三河をやっと束ねる状態の、
武家集団のひとつにすぎませんでした。

家康もまた、勢力争いの真っただ中で
幼少から、人質生活を繰り返していました

鷹の彫刻

表の鷹です

拝殿、正面の彫刻
鷹です

家康が好んだ鷹狩りの 鷹です
(東照大権現の意味もふくまれているそうです)

この鷹の彫刻は、
拝殿の正面と裏手の二か所に、
さらに、本殿にも装飾されています

特に本殿の巣籠りの鷹は左甚五郎の作とされ
いまでも、みごとに保存されています

(あとで、紹介します)

こちらが、拝殿裏手の鷹です

裏手の鷹です

戦国大名として

三河一国を統一した家康は、その地位と名声の誇示のためにも、
由緒正しい、松平の系譜を整える必要があり、
今日の、世良田徳川を発生の地とする根拠がつくられたものと思われます

とくに、
世良田徳川を開発した、義季にあやかって、
自ら徳川姓を用いるようになった、とありますが・・

有史以来、はじめて関東に政権をきずいた家康は
関東由来の源氏の血をひく、東国武将としての印象と存在を
ことさら、政略的に駆使したようにも思えます。

 とはいえ
片田舎にねむる、これほどの歴史的遺産群には圧倒されます

東照宮の入口にこんな看板。
お江戸みたけりゃ、世良田においで

また、明日。






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