http://saradakann.xsrv.jp/y_key_1456d36d458ffacd.html

現代小説 更新中

食の安心、安全と、日本の豊かな未来のために

食の安心、安全と、日本の豊かな未来のために



農作業のスナップから

はじめに



 新田さらだ館は、日夜、食の安全を守っている農家からメッセージを
発信していきます。
地域に根付いた文化や、現代小説も同時に発信します。


 当ホームページが誕生したのは、2010年の6月。
まったくの素人が、独学の末、ホームページ・『新田さらだ館』を作りました。
インターネットの普及が進む中。
大きく立ち遅れている農業分野へ、ネットを普及させたいと考えたからです。


 農業で検索しても、出てくる情報量はあまり多くありません。
JA(農協)や、農産物直販所のサイトを時々見かけます。
しかし、どこのサイトでも少ない内容の書き込みしかありません。
少ないページ数のまま、更新されることもなく、いつ見ても変化がないという
サイトが目立ちます。
インターネットのサイトを立ちあげたというのに、放置するというのは勿体ない話です。
ネットの世界において、更新されないホームページやサイトは、
空中に浮遊している埃やチリと一緒です。
日々、内容が更新されるからこそ、閲覧者が集まって来るのです。


 また、農家からの情報発信量が少な過ぎるのは何故でしょうか?。
答えは簡単です。
パソコンの活用と、発信している農家が少なすぎるためです。


 西暦2000年。日本のインターネットが元年を迎えました。
2000年の少し前。JAが農家へ、パソコンを売り込んだ時代が有ります。
時代を先取りしたJAの商法です。
しかしパソコンの大半が活用されず、埃をかぶったまま放置されています。
こちらも答えは簡単です。
ブームに便乗して購入したものの、パソコンを使えこなせないのです。



 慣れてしまえばパソコンとインターネットは、簡単です。
しかし慣れるまでが大変です。
大半の人が入門期の難解さに惑わされて、簡単に挫折していきます。
情報の発信するレベルに、たどり着くことができません。
ネットを活用している職業別人口を調べれば、おそらく第一次産業にかかわっている
人たちが、最下位にいると思います。
ネットを活用している農家の数は、おそらく、ネットの総人口から見れば
惨憺(さんたん)たる数字になると思います。


 新田さらだ館の最初の仕事は、埃をかぶったままになっている
パソコンを活用することから始まります。
眠っているパソコンを動かすことから、新田さらだ館の活動が始まります。


 携帯電話がネットの端末としての使われるのが、当たり前の時代になってきました。
ネットと連動するテレビも発売されています。
『多くの人たちが参加し、その日から情報を発信することができる』
これが新田さらだ館が持っている、独自のシステムです。
編集方法については、のちほど詳しく説明します。


 内閣府の調査によれば、パソコンの普及率は1990年代前半まで
10%台と低迷していました。
この数字はインターネットが、専門家やマニアに限られたものであったことを、
示しています。
90年代の後半、ネットの普及率が上昇していきます。
2001年。インターネットの普及率が世帯数の半分、50%を越えます。
この頃から各層にたいして、広くインターネットが浸透していきます。
世界から大きく立ち遅れていた日本のインターネットが、ようやくこの頃から
加速度的な上昇カーブを描いて行きます。


 2004年。前年度の63.3%から、2.4%ポイントと微増にかわります。
上昇に、ブレーキがかかります。
多くの文化製品がたどっていく、ロジスティックカーブの後半局面です。 
※ロジスティックカーブとは※
(はじめ小さく、中盤でドンと大きな成長線を描き、終盤近くで頭打ちになる曲線のこと)


 2005年。前年度比で、普及がはじめてマイナスになる。
64.6%。頭打ち傾向が出現する。
2006年以降。ふたたび普及率が、ロジスティックの上昇カーブを描きはじめる。
2012年。インターネットの普及率が、77.3%の最高数値に到達します。

インターネットの普及率について



 普及率が2011年と比較して、0.9ポイントほどアップしました。
人数にして148万人が、増加したことになります。
この結果。日本におけるソーシャルメディア人口が、5,000万人の大台に
到達しています。
※ソーシャルメディアとは※
 インターネット上で展開されている、各種の情報メディアのこと。
 個人による情報発信や個人間のコミュニケーション、人と人の結びつきを利用した
 情報流通など、社会的要素を含んだメディアを指す。


 13歳から49歳までの年齢層で、加入率が9割を超えました。
スマートフォンの保有率も2011年末の9.7%から、29.3%と大幅に増加しました。
『携帯するインターネットの端末』と呼ばれているタブレットは、
7.2%から8.5%と、1.3ポイントアップにとどまっています。(2012年現在)
タブレットが爆発的に普及するまで、もう少し時間がかかるかもしれません。
逆に今までインターネットの世界を支えてきたパソコンが、減り始めています。


 ピーク時の2010年を境に5ポイントずつ低下し、現在は77.4%の保有率です。
その代わり次世代型のインターネット接続型のテレビが、広がりつつあるようです。

インタネットの可能性について



 いずれにしてもインターネットの普及率は、最大値に向かって前進しています。
若い世代や子供たちは、当たり前のようにインターネットを活用しています。
インターネットを自在に使いこなし、思うままに情報や品物を手にすることができる
世の中が、もうまもなく誕生しょうとしています。


 そんな時代が目前だというのに、ネットからきわめて立ち遅れている世代が有ります。
50代以上の年代が、ネットの世界に完全に乗り遅れています。
この世代には共通して、パソコンにたいする苦手意識がはびこっています。
新田さらだ館はインターネットに乗り遅れた、このオヤジたちの世代こそ、
一念発起してネットに取り組んでもらいたいと考えています。



 オヤジたちは、仕事にかけてきた生き様と、おおくの哲学を蓄積しています。
若手や後進たちを育てるために、おやじたちが積み上げてきたおおくの体験と、実績と
生き様を、しっかり記録に残しておく必要が有ると新田さらだ館は考えています。


 オヤジ達にはこそ、すすんでパソコンに取り組んでもらいたいものです。
なれない指先で、自分史や農業にかけてきた熱い思いを、書き残してもらいたいと
考えています。
先人の記録は、これから先の若い人たちの前途に、必ず大きな希望を灯すでしょう。
パソコンを苦手としてきた世代が、日本の農業のあり方や歴史についておおくのことを
語り始めたとき、新田さらだ館は最初の役割を果たしたことになります。




農作業の中にも、ちょっとした息抜きと楽しみが有ります


 携帯を中心に、インターネットの急速な拡大傾向が見られる今日。
若い世代を中心に、スマートフォンの普及率が、ほぼ100%に到達しょうとしています。
携帯が本来の目的でもある、インタネット端末としての機能を持ちはじめたことに
なります。


 せっかく携帯が、インターネット端末としての機能を充実させたというのに、
スマートフォンの利用方法に、大きな問題が生まれています。
会話を中心とした従来のコミニューケーションの機会が激減し、その代わり、
メールやラインを多用した文字だけの会話が、横行しはじめました。
昼時になると隣に居る同僚には目もくれず、ひたすらメールのチェックに走る
という光景が巷にあふれています。
こうした若い人たちの姿が、お昼休みの定番になってきたそうです。
なんとも嘆かわしい話です。
中には自己都合による退職の文章が、なんと携帯のメールで
送られてきたという笑えない実話さえあります。
ゲーム漬けになっている好ましくない社会現象も、子供たちを中心に蔓延しています。
インターネットを、有効に活用できていない『子供たち』が居ることも事実です。


 ともあれ、インターネットが地球的な規模で普及している今日。
情報を発信する側として農業と農家は、大きくこの分野で立ち遅れています。
ネット通販を利用した野菜の販売が一部に見られますが、安心で安全な農産物を
作り出すための取り組みや、実際の仕事の内容についての発信は、皆無に近い状態です。


 ここ数年。相次いで食品を偽装する事件が発生しています。
食に関する「安心と安全」が、揺らぎはじめました。
安心で安全なものを提供しょうという機運は、今まで以上に高まっています。
農産物を生産している農家の立場から見れば、これはまさに千載一遇の大チャンスです。
自らの生産過程を公開することで、安心で、安全な農産物を育てている姿勢を
アピールすることができます。


 コメや、野菜や、果実たちをいかに丹念に育てているか、
あるいは、牛や、豚や、鶏たちをどれほど丹精を込めて育てているのか、
そうした経緯を現場から発信することが、品質を保障することにつながります。
こうした情報の発信を通じ、必ず、信用という『ブランド』が生まれてくると思います。


 先進地において、ブランド野菜やブランド果実が生産されています。
品質における頂点として『ブランド』農産物を育て上げることは、大切なことです。
『ブランド』野菜は、大きな効果を生み出し、産地としての知名度はあげてくれます。
しかし、ブランド野菜がすべてを救ってくれるわけではありません。


 『野菜のブランド化』は、多くの農家が助かるための現実的で、
合理的な路線とは言い切れません。
消費者は、高価なブランド品ばかりを食するわけにはいきません。
日常の食生活に必要なものは、安全に生産されてきた農産物や、果実や食肉なのです。
安定した価格と安全な品質こそが、消費者の要望です。
新しいブランドは、安全に育ててきた毎日の過程を公開することです。
おおくの消費者たちへ、ありのままの情報を届けることで『信用と信頼』という
新しい形のブランドを生み出すことが出来ます。


 新田さらだ館が発信したいのは、農家の生の声です。
丹念に、誠実に、日々育ててあげていく野菜や食肉たちの経歴や経過を、
インターネットを通じて、そのまま伝えていくシステムを創り上げることです。
情報の発信は、生産地としての信用度をあげ、名前を浸透させていく基礎を作りあげます。
ここから生まれてくる生産者と消費者のネット上のつながりが、やがて
農家の再生産を支えていくための、基礎を生み出してくれると考えています。


 『寡黙に働く農家』から『雄弁に語る農家』に生まれ変わる時代が、
もう、すぐそこまでやってきています。
安心で安全な農産物を作り出している毎日の仕事を、世界に向かって
アピールをしてもらいたいと、新田さらだ館は考えています。
そうした願いを込め、新田さらだ館は今から3年前にうぶ声をあげました。



『アラブの春』と『紫陽花革命』について



コスモスの道を変える高校生の後ろ姿。なぜか惹かれてシャッターを押してしまいました(笑)

民主化を呼んだ『アラブの春』



 インターネットが大きな役割を果たした事例を、2つ紹介しょう。
2010年から2011年にかけて、アラブ世界を席巻した一大騒乱が巻き起こる。
大規模な民主化を要求する反政府デモや、抗議活動などの騒乱が
『アラブの春』だ。


 2010年12月18日。
チュニジアで、ジャスミン革命が勃発する。
民主化を求めるチュニジア国民の行動が、インターネットを介在しながら、
次々と、アラブ各国へ伝播していく。
アラブ各国にひろがった、政府に対する抗議活動やおおくのデモ行動は、
2012年に入っても衰えを見せない。
いまもなお途切れることなく民主化を求めて、『アラブの春』を継続している。


 騒乱のきっかけは、2010年12月17日。
チュニジアの中部・シディ・ブジドで、失業中だった26歳の男性
モハメド・ブアジジが、焼身自殺したことからはじまる。
失業中だった彼が、果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、
販売の許可がないとして、警察が商品を没収してしまう。
これに抗議し、ガソリンをかぶり、火をつけて焼身自殺を図ったことが
『アラブの春』の発端になる。


 チュニジアの失業率は、公表されている14%よりはるかに高い。
働き盛りの青年層で25~30%という、驚くべき数字に達している。
モハメド・ブアジジと同様、街頭で果物や野菜を売りその日の生計を立てている
失業者たちが、チュニジアにはたくさん居る。


 この出来事が、大学卒業後も就職できないでいる若者たちを中心に、
『職の権利』や『発言の自由』、『大統領周辺の腐敗の罰則』などを求める声になり、
次々とストライキや、デモ行動を生み出していく。
デモは時間の経過とともに、チュニジア全土とすべての年齢層へ拡大していく。
デモ隊と政府当局による鎮圧がはじまり、おおくの死傷者を生む
緊迫の事態に発展する。


 高い失業率に抗議するデモ行動は、やがて内部の腐敗や人権侵害が
指摘されているチュニジアのベン=アリー政権の、打倒に向けられていく。
23年間という長期体制に終止符を打つ、反体制派のデモ活動へ進化する。
勢いはやがて野火のように、急速にチュニジア全土へ広がっていく。
チュニジアを変えたこの出来事は、インターネットを介して、やがて
『ジャスミン革命』と命名される。
チュニジアでの出来事は、さらにインターネットを媒体にして
似たような情勢を持つ、アラブの諸国へ伝わっていく。


 チュニジア政権が崩壊した直後。ヨルダンでも同じように
反政府活動の火の手があがる。
サミール・リファーイー内閣が、反政府勢力に追い込まれ
2011年2月1日、総辞職を余儀なくされる。
エジプトでも1月25日から、大規模な反政府抗議運動がはじまる。
この結果。30年以上も続いてきた、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領の
長期政権が、ついに崩壊をする。
2011年エジプト騒乱として、全世界に報道される。


 カダフィ大佐による長期にわたる独裁政治が続いてきた、隣国のリビアでも、
退陣を要求するデモが、2月17日から火の手を上げる。
抗議活動の波はやがて、2月27日、首都のトリポリを包囲する。
放送局や公的機関の事務所が、次々と襲撃される。
軍がデモ参加者にたいする無差別攻撃を開始して、多数の犠牲者が発生する。
ここから半年以上にわたる内戦状態に突入するが、NATO軍がいち早く、
抗議活動を支援する態度を表明する。
NATO軍による支援の成果もあり、8月24日、首都のトリポリがついに陥落する。
42年間に及んだカダフィ大佐の独裁政権が、崩壊の時を迎える。
こうした内容は、のちに2011年・リビア内戦として全世界に報道される。


 アラブ全土に巻き起こった、これらの騒乱の全ての局面を詳細に伝えたのが、
庶民たちによるインターネットの書き込みだ。
デモ行動と抗議活動の詳細な情報が、ネットによって国境を越えていくことで、
おおくの人たちに多大な勇気を与えた。
これら一連の反政府行動を支えた原動力は間違いなく、国境を越えた、
おおくの人たちの手による、インターネット上の書き込みだ。



日本を揺るがした3.11の『紫陽花革命』



 同じような事例が、日本でも発生している。
それがこれから紹介する、自発的なデモ行動の『紫陽花革命』だ。


 きっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。
東京電力が所有している福島第一原発が、同日に発生した地震と大津波で被害を受け、
日本で初めての原子炉のメルトダウンを引き起こす。
人が住むには危険すぎる高濃度の放射能が、亀裂の入った炉心から漏れ出す。
福島県内をはじめ、南東の風に乗った放射能は栃木県や群馬県、
一部は箱根を越えて、静岡県まで到達する。


 安全神話が崩壊した原発は、定期点検を境に次々と停止していく。
日本にある原発は定期点検のため、年に1度、停止することが義務づけられている。
『原発を停めろ』の世論にも押されて、原発の停止が順次はじまっていく。
定期点検に入った原発から停止がはじまり、2012年5月5日、
ついに53基目の原発が停まる。
こうして日本にあるすべての原発が、完全な停止状態に入る。


 その少し前、2012年の1月。政府が動き出す。
民主党政権が再稼働の目的のために、あらたに『原子力規制庁』を設立する。
新しい組織を設立した目的は、ただひとつ。
停止している原発の、再稼働を急ぐためだ。
政府と経産省のこうした姿勢に、反対する声が日本のあちこちで上がる。
ネット上で、『紫陽花革命』の呼びかけがはじまる。
ひとりの青年が情報共有サイト『Twitter』で、反対行動を呼びかける。


 この青年の呼びかけに応え、毎週金曜日の夜、総理官邸の前に抗議のために
人々が自発的に集まってくるようになる。
金曜日のたびに、集まる人数が増えていく。
2月の半ばを過ぎる頃には、金曜日の夜に集まってくる人々の数が、数千人を越える。
インターネットの書き込みが拡散していくたび、共感の輪がさらにひろがる。
官邸前の抗議活動を知り、集まってくる人々の数は週を追うごとに、
さらに目に見えて増えていく。


 こうした背景に、再稼働を急ぐ政府と『原子ムラ』への、国民の大きな不満がある。
ひとたび事故を起こせば簡単に収拾出来なくなるという、原子力発電への不安。
『原子力ムラ』と呼ばれる、霞ヶ関と産業界の癒着。
原発に巣食う利権構造に対する、激しい不信感がそこに潜んでいる。


 『紫陽花革命』を知りながら、マスコミは一向に動かない。
自発的な市民たちの動きを知りながら、マスコミは報道規制を続ける。
大手マスコミは、報道規制の姿勢を一貫して守ったまま、『紫陽花革命』を取り上げない。
こうした態度をとり続ける背後には、報道機関が、時の政権や政府と馴れ合いながら、
都合の悪いことには蓋してきた経緯がある。
世論を操作するための片棒を担いできたという、自らの体質を露呈したことを意味する。


 官邸前の抗議活動の様子を、ただひとつ、淡々と報道し続けたのは、
有志によるインターネットのメディアのみだ。
だが無視できない状態が続いたため、ついに転機が訪れる。
4万5千人に膨れ上がった、6月22日の首相官邸前のデモ行動の様子を、
報道ステーション(テレビ朝日)が、初めて報道する。
この報道がきっかけになる。ついにマスコミの報道規制の縄が解かれる。
10万人を超えた6月29日のデモの様子を、NHKが取り上げる。


 この事実は、60年や70年に発生した安保闘争などと同様、
紫陽花革命が、大規模な国民による民主化要求運動として認知されことを意味します。


 紫陽花革命は、日本で初といえる大きな特徴を持っています。
従来のデモ行動などと、大きく異なる性格を持っている。
参加者は労働組合などによって、「動員」された訳ではない。
自分の良心と、自由な意思のもとで参加していることが『紫陽花革命』の
持っている大きな特色だ。
政治活動に、まったく縁のない人たちも多い。
デモ行動に参加したことのない普通の市民や、子供たちを連れた主婦が、
数多く参加していることなどが特に目立つ。


 「紫陽花革命」には、小さな花が集まって咲く、紫陽花のイメージが含まれている。
「国民一人一人に国を動かす力はなくても、問題意識を持った大勢の人が集まれば、
意見を政府にぶつけて、国の方向性を変えることができる」という
デモの主旨を裏付けている。


 ネットがもたらした、象徴的な2つの事例を紹介しました。
TwitterやFacebookは、全世界的な規模でコンピューター同士を結びつけています。
瞬時の情報発信と、共有を可能にします。
インタネットのもっている可能性は、無限といえるでしょう。
ネットは、おおくの人を動かし、世論を変え、政治や国まで変えていくという、
力を生み出す可能性を持っています。




食の安全性について・

日本型食生活のはなし

苗植えの様子のスナップから


 『日本型食生活』と呼ばれる理想的な食生活の形が、かつての日本に存在しました。
かつてと書いたのは、それらがすでに失われているからです。
人の生命の根源は『食』にあります。
食べることで、生活と活動のためのすべてのエネルギーが体内から生まれます。
バランスよく食べることで、栄養が体内に吸収されていきます。
安全で健康的な食生活が、ひとのすべてを根底から支えてくれます。


 生活習慣病や肥満が、大きな社会問題になってきた昨今。
昭和50年代に完成した『日本型食生活』が、あらためて見直されています。
米を主食に、魚介類や野菜、豆類などをバランスよく配した当時の『献立スタイル』を、
日本型食生活と呼んでいます。
昭和40年から50年にかけて、日本人の食卓の形として完成しました。


 日本型の食生活の原形は、農耕文化がはじまった弥生時代に源を発しています。
完成する以前の日本型食生活は、たんぱく質の大幅な摂取不足と、食塩の過剰摂取が、
問題になっていました。
1980年代の高度経済成長と共に、国民の栄養状態が向上します。
炭水化物とたんぱく質、脂質の摂取エネルギーなどの比率が、ようやくのことで
理想的なレベルへ到達します。
栄養的にバランスが整った日本型の食生活が、昭和50年代のこの頃に
各家庭に定着します。


 最近になって肉食が中心になっている欧米諸国で、
理想的な栄養バランスを持つ日本型食生活が、熱い注目を集めています。
日本食や寿司文化が注目を集めているのも、決して偶然ではありません。
しかし残念ながら今の日本では、食卓から和食が減る一方です。
食の洋風化が強まる中、肉食化が進んでいるからです。
栄養バランスが良いと言われている、日本型食生活が食卓から姿を消そうとしています。


 肉食化がすすんでいくと、炭水化物を摂取する機会が減る一方で、
過剰な脂質の摂取が問題になります。
脂の摂りすぎは、過剰な肥満と、内臓へ過度の負担をもたらします。
新しい病気として生活習慣病の増加が懸念されているのは、実はこのためです。
和食が育んできた副食には、こうした生活習慣病の予防に有効な成分が
大量に含まれています。
健康維持の面からも、大切にしたいのが『日本型食生活』と呼ばれる献立です。


 農政審議会が昭和55年の答申の中で、欧米諸国と比較して
優れたバランスを持つ日本型食生活の優れた点を、次のようにまとめています。

 (1)総熱量の摂り過ぎを避け、適正な体重の維持に務めること
 (2)多様な食物をバランスよく食べること
 (3)お米の基本食料としての役割とその意味を認識すること
 (4)牛乳の摂取に心がけること
 (5)脂肪、特に動物性脂肪の摂り過ぎに注意すること
 (6)塩や砂糖の摂り過ぎには注意すること
 (7)緑黄色野菜や海草の摂取に心がけること
 (8)朝食をしっかりとること


 日本型食生活の基本は、『一汁三菜』です。
ごはんと汁のほかに、おかずが3品つくのが一汁三菜の食事です。
これは 茶道の祖、千利 休が400年前に確立した、茶懐石の献立がもとになっています。
内容はめし、汁、向付、煮物、焼き物。
余計なものは一切つけず、旬の素材を生かした質素で心のこもった食事が
本来の懐石料理です。


 『一汁三菜』を、もう少し専門的に解説しましょう。
エネルギーの源になるのは、たんぱく質(P)、脂肪(F)、糖質(C)
の三つの栄養素です。
毎日の食事は、3つのPFC比(エネルギー比率)を、
P対F対C=15対20~25対60~65の割合にすることが望ましいと言われています。
ごはんなどの糖質をしっかり摂らないで、脂肪の多い肉を食べすぎていると、
PFCのバランスはくずれ、太りすぎたり、コレステロールの値を高めることになる。
その結果、生活習慣病を招くことになります。


 毎食の献立は、茶碗一杯のごはんを中心に考えましょう。
ごはんの主成分は糖質。
一日のエネルギー源になり、たんぱく質をはじめビタミンやミネラル、
食物繊維など、不足しがちな栄養素も補ってくれる。
ごはんを柱にして、おかずには肉、魚、大豆や大豆製品、卵、牛乳などのたんぱく質食品、
緑黄色、淡色の野菜、芋、果物など、体に必要な栄養素を含む食品をバランスよく
取り合わせるようにしましょう。


 食欲がない。忙しい。やせたいなどの理由で「欠食」をすると、
空腹の反動による食べすぎや栄養の偏りが心配になります。
また、夜更かし型の生活も問題になる。
遅くまで起きていて、おなかがすき、寝る直前に食べたりしては、
エネルギーは蓄積される一方で、太るために食事をしているようなものになる。
肥満はスタイルが気になるばかりではなく、生活習慣病の引き金になりやすいことも
覚えておきましょう。


 ついでながら、肥満度をチェックするための計算式が有るので、掲載しておきます。
◆ 自分の肥満度をチェック ◆
 
     BMI(Body Mass Index)による肥満測定
     BMI算出法=実測体重÷(身長m2)
        22        →理想
        25以上      →肥満
        18.5以上25未満→普通
        18.5未満    →やせ

   例えば、身長1.7m、体重75㎏の場合
   75㎏÷(1.70×1.70)=25.95となり肥満です。
   標準体重㎏=(身長m2)×22

健全な食をめぐる環境について

健全で安全な食生活が、健康な体と心も育てます


 健康的で安全な食生活を送るために、健全な食品を提供する環境作りが欠かせません。
食品の安全にかかわる環境とは、自然環境だけに限定されない。
野菜や家畜や魚が栽培・採取・飼育・捕獲され、加工・運搬・調理されて
各家庭の食卓に上がるまでの、すべての分野と過程が『食の環境』として定義できます。
それらを管轄する行政組織や、食品の規格や国際的な関係機関なども、
食環境の一部と言えるでしょう。


 一例をあげてみたいと思います。
ベラルーシは、チェルノブイリ原子力発電所の事故ため、放射性物質を含んだ雲に襲われ、
国土の23%が放射能汚染地帯に指定されました。
汚染のレベルは、福島第一原発の事故で設定された警戒区域ならびに計画避難区域と
ほぼ同等とされています。
チェルノブイリの事故では、ロシアでも住民に深刻な健康被害が出ています。
隣接するベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故後25年間にわたり、
放射能が関連する食品の安全確保について、様々な体制や制度を構築してきた。
主な柱は、次の3つです。

 ・食品に対する何段階にもおよぶ検査の体制づくり
 ・食品に含まれる放射性物質に関する厳しい基準の設置
 ・安全な食品を作るための、生産者に対する技術面と財政面の支援


 ベラルーシでは生産・流通・販売にかかわるそれぞれの現場において、
常に厳しい放射性物質の測定が行われています。
食品検査場は、ベラルーシ国内に860か所が設置されています。
ここでは年間に、1100万回以上の検査が行われています。
食品を買った消費者が、自分が買った食品を食品市場やマーケットに併設されている
検査室に持ち込んで、検査することが自由にできます。
こうした検査はすべて無料です。
消費者自身が自分の眼で、食品の安全を確かめることができます。


 ベラルーシでは何故、汚染地域の居住や、そこで採れる食品の流通を禁止せず、
厳格な検査体制を確立することになったのでしょうか?
国土に対する放射能汚染地域の面積割合が、非常に高かったことと、
農業を支えている南部の一帯が、放射能によって汚染されてしまったことが挙げられます。
汚染地域をまるまる放棄してしまうわけにはいかず、汚染された土地の中でどのように
暮らすのか、真剣に向き合わざるを得なくなったという経緯があります。


 放射能汚染と食品の安全性の解明は、これから先の問題になる。
3・11で原子炉が壊滅的な被害を受けた、福島第一原発でも同じことが言える。
この先。この国で子供たちを安全に育てていくためには、欠かせない問題のひっつになる。
チェルノブイリの事故から、学ぶべきこともたくさんあるはずだ。
この文章を書きながら、なぜか問題が大きすぎて未来が見えないのは、私だけ
だろうか・・・福島の未来を想うと胸が痛む。




少し珍しくなってきた桑の苗の植え込みの様子から

新田さらだ館の、2つの夢

①メジャーへの道



 アメリカへ渡って、野球をしょうという話ではない。
ネットの世界でメジャーになるためには、何が必要になるのだろうか、という話だ。
大勢の人たちがアクセスしてくれなければ、ネット上にホームページやサイトを
公開した意味がない。
インターネット上に自分の世界を作っても、最初のうちは誰もアクセスをしてくれない。
検索をかけても、出てこないという場合さえ有る。


 インターネットの基本、土台となっている『検索エンジン』からまず理解をしましょう。
ブラウザを起動させ、インターネットをはじめる場合、トップページが表示されます。
たいていは、GoogleとかYahooです。
他のプロバイダのホームページを、トップページにしている場合もあるでしょう。
検索窓に文字を入力すると、調べたい情報が即座に表示されます。
この機能が『検索エンジン』です。


 何万件中の1件目から、表示されます。
このプログラム、検索順位を決めているのが 検索エンジンです。
サーチエンジンともいわれ、検索プログラムと呼ばれる場合も有ります。
世界中のウェブサイトの中から、関連性の高いサイト、キーワードが合致したサイト、
人気があるサイトなど総合的に評価して 、1番目から表示していきます。 


 この検索エンジン。実は世界的に見ても 主要なものは 3つしかありません。
Google、Yahoo、Microsoft、がその3つです。
え?じゃあ GooとかNiftyとかBiglobeから 検索しているのは、どういう仕組みに
なっているの?と、思われるかもしれません。
世界中のウェブサイトから、キーワードに合致したサイトを見つけて順番に表示する
検索エンジンというのは、国内の大企業といえども開発は困難です。
したがって、Google、Yahoo、Microsoftの検索エンジンを使うことになります。


 ちなみにここでいうYahooは、日本のYahooではなくて米国のYahooです。
Microsoftの検索エンジンは Bingです。
Windowsのパソコンを買って使いはじめた時に 検索エンジンが必ずといっていいほど
Bingになっているのは Microsoft=Bingだからです。


 つまり。この検索エンジンに拾われない限り、せっかく作ったホームページも
永遠に宇宙を漂うゴミになってしまいます。
ネット上には世界中から、毎日、膨大な量の情報が書き込まれていきます。
書いただけでは、誰も振り向いてくれません。
検索エンジンもそっぽを向いたまま、いつまでたってもあなたのサイトを
拾ってくれません。
アクセス数が増えない限り、検索エンジンには拾われないという結論が出ます。


 ネットの世界においても、自分の存在は、自分からアピールするという
行動力が必要になります。
相手との接点を作り出すことに、最初の意味があります。
いいかえれば、自分から積極的にあちこちのサイトを訪問し、交流し、
自らのサイトを知らせる努力を繰り返してこそ、存在が認知されることになります。
こうした努力を抜きにして、インターネット上での成功はありえません。


 例えば、実名での登録が義務付けられているFacebookなどを利用して、
多くのつながりを作るのも、有効な方法の一つです。
数ある「SNS」サイトのひとつに登録して、そこでブログを書きながら
接点を広げていくという、方法も有ります。
 ※「SNS」とは - Social Networking Serviceの略。
(ソーシャルネットワーキング・「人同士のつながり」を電子化するサービスのこと)


 『新田さらだ館』の設置は、2011年の8月にさかのぼります。
当初は誰も見てくれません。
最初にしたことは、いくつかのSNSに登録して現代小説を書きはじめたことです。
小説を書くことは、私の趣味のひとつです。
おかげでSNSの読者が、1日当たり500人を超え、興味を持ったひとたちが
新田さらだ館へ訪れ、すでに1万人を超える人たちが閲覧しています。


 無名サイトから、人気のあるサイトへ進化するために、何が必要になるのでしょうか。
その解明は、これからの課題になります。
たとえば、航空母艦のような中核となるサイトを中心に、いくつものサイトと
連携した関係が築ければ、情報網のネットワークが完成します。
大手の情報サイトに便乗するのではなく、地域から発信するあたらしいネットワークを
自ら創り上げる。
地方からネット上に、メジャーな情報発信の拠点を作りあげる。
それが新田さらだ館の、最初の夢です。



②未来は、若者たちのためにある



 先人たちは、道を切り開くために先頭を歩く。
その道をさらに進み、未来を切り開くのは、これからの若い人たちの特権です。


 新田さらだ館のもうひとつの夢は、50代や60代のおやじたち世代にこそ
インタネットに取り組んでもらいたい、という願いです。

以下。編集中

 そのためにも、農家は日々の仕事ぶりから情報を発信するべきです。
安全に、安心に、丹精を込めて普段から野菜や果実や畜産を、成し遂げているその姿と、
心意気と信念を、ネットを通じて公開をするべきです。
そこから、製品への信頼と信用が生まれてきます。
安心と安全への信頼と信用は、余すことのない日常的な情報の公開から始まります。
ネットは、そうした未来を可能にし始めました。
あえて農村地帯から、農家による日々の情報を発信しょうという『新田さらだ館』の使命と
その役割は、実はここに凝縮されているのです。



 限りない未来は、今日の、小さなつぶやきから始まるかもしれません。
インターネットというものはそういう『道具』であり、人と人を、時間と空間の制約を
一気に超えて結ぶ付けていく『手段』です。
自分たちのために、活用いきることが未来へのその、第一歩になると思います。
未来を担う若者たちへ。『未来は君たちのためにこそある』のひと言を贈って、この文章を
締めくくりたいと思います。




 2013年 1月13日  新田さらだ館 館長

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional