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現代小説 更新中

(1) 序章・「やんちゃ」時代の想い出

(1) 序章・「やんちゃ」時代の想い出

外観が美しい赤レンガの、織物工場跡です 


桐生における織物工場のうち、赤レンガ作りはきわめて貴重で、珍しいとされています


アイラブ桐生
(1) 序章・「やんちゃ」時代の想い出 


 北関東の山懐。
織物の町・桐生市には、私の青春時代がいまも静かに眠っている。
桐生は、「西の西陣、東の桐生」と歌われた街。
桐生織の起源は、奈良時代までさかのぼる。
714年。上野の国(今の群馬県)が、はじめてあしぎぬを織って朝廷にさしだした。
という記録が残っている。


 以来。桐生は織物で、長い繁栄の歴史を刻んできた。
といってもそれはもう、半世紀以上もむかしの話。
安い絹が東南アジアから入って来た。戦後。女性の着物離れがすすんだ。
わたしが生まれたのは、桐生の織物が斜陽にさしかかりはじめた、ちょうどその頃。
そんな桐生ですごした私の青春時代について、少しづつ、書いてみたいと思う。


 桐生市は三方を山に囲まれていて、盆地に近い形をしている。
市街地が山裾から扇のようにひろがる。
狭い市街地の中を、2本の河川が流れていく。
西を流れる渡良瀬川。東を流れていくのは、梅田湖にみなもとを持つ桐生川。


 高い建物は、一切見当たらない。
市街地の基点は、真北に鎮座する桐生天満宮。
天満宮のひざもとに、昭和初期から大正にかけて建てられた木造住宅が、
およそ200軒ほど残っている。
下町の象徴。細い路地も、ここにはたくさん残っている。
人一人がやっと歩ける細い路地がたくさん交差する街。それが私の桐生。


 「のこぎり屋根」が沢山見える。
三角形が連なり、のこぎりの形をした屋根は織物工場の名残り。
かつて日本全国から「おり姫」さんがたくさん集まってきた。
私のおふくろもその一人で、16歳のときにはもう一人前の「織姫」として
朝早くから夜遅くまで織物工場で働いていた。


 絹織物の全盛期。
機屋(はたや)の三角屋根は市内に、600から700は有ったと言われている。
数が減ったが今でも市内の各地に、のこぎり屋根の工場が200近く残っている。


 「桐生、着道楽、男のおしゃれ」という歌がある。
桐生は機屋(はたや)の旦那衆が、よく遊んだ町でもある。
織物の町に、男衆の働く場所はない。
働き者の織り姫たちに支えられて、男たちは、遊びにエネルギーを使う。
旦那衆たちが遊ぶ、北関東一の花街が桐生に有った。
それが「仲町通り」と呼ばれる歓楽街。


 歓楽街の入口に、名士たちのロータリークラブが本拠を構えている。
地元経済界の男たちの社交の場、 「桐生倶楽部」。
地中海風の建築が、デンとそびえている。
盛り場の入り口にまったく不釣り合いといえる、洒落た建物。


 狭い路地を、桐生芸者が歩く。
歓楽街の中に、置き屋が一軒だけ有ったという。10名の芸妓が籍を置いていた。
浴衣姿の芸妓が昼日中の歓楽街を歩く。
正装した男たちが黒塗りの乗用車で「桐生クラブ」へ乗りつけてくる。
桐生クラブで商談を済ませてから、日暮れと共にネクタイを緩める。
割烹や小料理屋が立ち並ぶ、歓楽街の路地へ繰り出していく。
それが歓楽街・仲町の、ごく当たり前の光景だった。


この街の人々が織りなしてきた長い歴史と、機織りの機械の音が、
すべてそのまま、私の感性をつくりあげた。


 1970年代のはじめ。
田舎の町に、好景気が生んだ使い捨て文化と、大量消費の波が押し寄せてきた。
学生と高校生がやたらと多い桐生に、学生運動と安保闘争の波が、
ついでとばかり、押し寄せてきた。


 若者たちの間に、時代の波が静かに浸透していく。
戦争を知らない世代が、安保闘争に立ちあがる。
政治を知らない若者たちが、熱にうかれて首都・東京へ連日、
抗議のためのデモ行進に出かけていく


 そんな時代を背景に、わたしの青春の「放浪」が始まる。
最初のやんちゃは、「家出」。
その前に、私の初恋の話から始めたいと思います。
私にとって一番大切な、永遠の恋人のレイコが登場してくるからです。


現在は、観光客にも人気の、パン屋さんとして再利用されています


のこぎり屋根の工場は、主に明治から大正にかけて建てられたもので、現在でも200棟近くが残っている言われています

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